2018/03/15(木) 10:15〜10:40 趣味どきっ! 幕末維新メシ 第6回「勝海舟〜思い出の浦賀“うなぎ”〜」[解][字]

すね。今井純子解説委員でした。
♪♪~
歴史上の人物たちにも好物がある!
食を通じて 偉人たちの
意外な一面をひもとく。
それが…
第6回は…
今回 訪ねたのは 黒船が来航した
神奈川県横須賀市です。
今回 勝 海舟についてのお話を
進めて頂くのは→
俳優の 勝村政信さんです。
よろしくお願いします。
勝村さん 浦賀の印象は?
というか いらした事あります?
初めてです。
でも浦賀といえば 黒船ですよね。
全く これまでと違う
新しいものが来たというふうに→
日本人は ペリーの来航を
捉えたんでしょうね。
なるほど ここに来たんですね。
すごいなあ。
1853年 浦賀沖に姿を現した
4隻の蒸気船。
モクモクと煙を吐き出す
巨大な船の姿は→
日本に 大きな衝撃を与えました。
その衝撃を 彷彿とさせるものがこちらにあるんです。
あちらが 北米合衆国

ペリー提督 上陸記念碑です。
そして
「大勲位→
伊藤博文書」
と→
書いてありますよね。
え? 伊藤博文さんが書いたんですか?そうです。
それに この大きさを見て下さい。
この大きさが ペリーの来航がいかに衝撃だったか→
大衝撃だったかを
表してますよね。
この黒船来航を機に
幕末の表舞台に躍り出たのが→
勝 海舟でした。
勝村さん 勝 海舟のイメージはどんなでしょうか?
海外に行ったり
無血の 血を流さず→
江戸城を 明け渡したっていう。
それだけでも大変な事ですよね。
ここで 勝 海舟の人生を
振り返ります。
地理学や蘭学などの
勉学に励みました。
1853年 黒船が来航。
この時 勝は防衛の策として海軍の創設や 西洋技術の導入を→
幕府に提案します。
この意見書が…
黒船来航から2年後…
航海術を学びます。
そして1860年 勝はアメリカに向かう

幕府の役人たちを護衛する…
その出発地が
ここ 浦賀でした。
今日はね 若き日の
勝 海舟の 思い出の場所や→
それから 好物のうなぎから
見えてくる 新たな一面を→
ご紹介したいと思います。
よろしくお願いします。
3人が向かったのは ペリー公園から
車で5分ほどの場所です。
まず最初に 勝 海舟が咸臨丸に
乗る前に訪れた場所なんですが→
その前に 是非会って頂きたい方が
いらっしゃいます。 あちらです。
あちら? あの船?
…に乗ってらっしゃる→
[外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山みな子さんと おっしゃって→
勝 海舟のご子孫で玄孫でいらっしゃるんです。
[外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山さん こんにちは。
改めて よろしくお願いします。
さすがに[外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山さん
軍艦操練所教授方頭取の→
ご子孫でいらっしゃるだけに
船で いらっしゃいましたね。
はい。 浦賀に やっぱり
船は似合いますから。
何か言われてみると
似てらっしゃいますよね。
ありがとうございます。

勝 海舟と浦賀と言いますとやっぱり 何と言っても→
ここから咸臨丸で アメリカへ
船出された場所なんですよね。
他の方々は 昌平黌に行って
お勉強したりとかって→
そういうのもない独学で 本を
読んでいるというところですね。
勝ゆかりの場所に向けて
乗船します。
この船は 東浦賀と西浦賀をつなぐ
大事な道路の一環なんですね。
浦賀の渡し。
([外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山)渡し船ですね。
私たちも 勝 海舟が渡ったという
浦賀の海を→
ちょっとだけ
味わってるわけですね。
陸を移動すると
車で15分ほどかかる距離を→
僅か3分で
移動する事ができるんです。
渡し船の船着き場から 歩いて
5分ほどの場所にあるのが…
目的は 水ごり。
冷たい水を浴びて航海の安全を祈願していたのです。
あの井戸の水が
今でも触って頂けるんですが→
こちらなんです。
いや~ 冷たいですよ。氷水ですよ もう。
お~ 冷たい。

これを かぶったわけですね。
咸臨丸の出発も1月。
寒い冬でした。
水ごりをした勝は 法衣を着て→
神社の裏手にある山に登ったといいます。
口数が減るもんですね。
([外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山)そうですね。
山頂にあるのは 東叶神社 奥の院。
実は 勝は船酔いしやすい体質でした。
そのため ここで座禅を組み
断食をして→
心身を鍛えていたと
伝わっています。
海舟は それまで自分で
本で学んできた事を→
やっと長崎で オランダ人の先生から
お話を 直接伺う事ができた。
今度は 次は自分の目で
外国を見たいという思いが→
非常に強かったと思います。→
咸臨丸が出る 出すという事を聞いた時に→
何としても 自分はそれに乗って
アメリカへ行って 世界を見たい→
という念を強くして
慌てて 長崎から帰ってきて→
いろんな方々に お願いして→
いろんな方々の お力添えもあってやっと 乗船する事ができる。
37日間 そのうち平穏な日は→
6日ぐらいしかなかったそうですね。
やっぱり 大きな使命を果たす

という意味で→
乗組員の心は一つになって→
アメリカ大陸まで行くぞという気持ちで→
たどりついたんだなと思いますね。
勝さんみたいに本当にやりたい事を→
自分の言葉で
多分 説明をして→
咸臨丸に乗り込めるまで
長崎から帰ってくる時も→
すごく大変じゃないですか
それだけでも。
その情熱
やっぱり そういうものが→
歴史を動かしていくんだな
という事が よく分かりました。
続いて
[外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山さんが案内してくれたのは→
勝 行きつけの
うなぎ料理店です。
ここ 通ってたんですか!?
はい ここのうなぎ 好物でした。
そうなんですか。
失礼します。
どうも よろしくお願いします。
5代目の上野さんです。5代目ですか。
明治の初めに創業しまして→
戸籍に残ってるのは明治の9年からなんですよね。
海軍造船所が あったから。
そうですね。そこへ通っている時に。
それは 明治政府となってからも

続けられました。
政府の海軍の要職に就いていた
勝は 浦賀に来ると→
この店に
立ち寄ったのかもしれません。
明治の初年代ですよね。
まさに 日本海軍を勝 海舟さんが→
しゃかりきになって
つくってらっしゃる時ですよね。
活力の源は ひょっとして。
うなぎですね。
うなぎが好きだったんですね。
ええ。
江戸っ子ですからね
絶対 うなぎは大好きですよ。
造船所に来た時に
一人で食べには来ないし→
仲間を誘って みんなで
「よし うなぎだ!」って→
元気つけて 頑張ろうっていう
感じですよね。
勝 海舟が食べた
たれを 守り続けてます。
そのままの味で 一切 割合も
変えないです。 変えてないです。
メーカーも変えてないです。
創業当時から およそ150年間守り続けてきた→
うなぎのたれです。
国内産のうなぎに たれをたっぷりつけて 備長炭で焼いていきます。
うなぎが焼けるのを待っている間

話題は 江戸時代のうなぎ事情に。
うちらが 江戸前というと
今 何を思いつきます?おすしです。
なんですけども…
そうなんですか。
高級な人たちから
庶民の人たちまで→
みんな うなぎ
食べていたわけですね。
(柳原)一般の人たちも 作れる
ようになったことによって…
やっぱり たれがおいしくないと
かば焼きにはなんなかった。
たれが普及するまでは→
塩やみそ 酢などを塗って食べていた うなぎが→
かば焼きになった途端 大流行。
1852年には 「江戸前大蒲焼」という店のランキングを掲載した番付表まで→
出ているんです。
番付表には 江戸のうなぎ店およそ200軒が→
ずらりと並んでいます。
ここで 江戸時代に食べられていたうなぎ料理の作り方を紹介します。
材料は こちら。
かば焼きですから もう焼けていてたれが 塗っています。
そのたれの味を使って 煮物を
作っていく 面白い煮物です。
煮汁の材料です。
まず 下ごしらえから。
先に
かば焼きだけ煮る事によって→
うまみが だしの中に

更に出てきますから→
だしが 更に
おいしくなるんですよね。
そのだしを使って
こんにゃくと しいたけを煮ます。
煮立ったら…
こんにゃく しいたけはうなぎの周りに加えます。
汁けが無くなるまで煮ます。
煮ていくとだんだん煮汁が減ってきます。
減ってくると 全体的に
つやが出てきますので→
その時に 火を止めて下さい。
うなぎを崩さないように取り出して 3等分に切ったら→
器に盛りつけて完成です。
うなぎのうまみを こんにゃくにしみ込ませた一品です。
さて そろそろ お店のうなぎも
焼き上がりです。
お待たせしました。
(原口 勝村)ありがとうございます。
勝 海舟が愛した
「うなぎの かば焼き」です。
いただきます。
いただきます。
おいしゅうございます。
甘みが抑えてあるんですねたれの。ええ。
このたれが 勝 海舟さんが
食べていた頃と 全く同じ?
(上野)全く同じ。 変えてません。
割合も変えてません。
うなぎのたれっていうのは

基本的には→
おしょうゆと
みりんだけなんです。
最近は
若い人に好むようのために→
砂糖とか そういうのを
プラスするんですけど→
うちは マル秘じゃないけど
みりんと しょうゆだけです。
お砂糖 使ってらっしゃらない?
(上野)使ってないです。→
それで 140~150年たってる
うなぎのエキスが入ってるから→
そのたれに うまみ コクが
出るんだと思います。
これは 例えば
そのレシピが分かったとしても→
できる味じゃないんですよね。
だから よく地震が起きたらまず 何持って行くって→
うなぎのたれを みんな持って
逃げる。
(上野)
昔から そういう言い伝えです。地震でも何でも来たら→
何にしろ たれだけ持って行け
逃げろと そう言われてます。
うちの父親が
つくだ煮屋だったんですよ。([外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山)あ そうなんですか。
だから 今のたれの話は
よく分かります。
そこで 何かあった時には

たれを大切にって。
あとは 1滴も垂らさないように→
中に入れる時もふたでフォローしないと→
社長さんに 前の社長さんに
怒られたって言ってましたから。
店には 勝が うなぎを食していた
時の姿も伝えられています。
初代の時は
もっと海のそばにありまして→
今みたいに埋め立てなくて
そのまま海が見えたんですね。
だから 食べてる場所から
浦賀の港→
叶神社とか山とか
全部 見えたんですね。
そこで ゆっくり召し上がって
いたんだと思います。
勝 海舟さんにとりましては
うなぎを食べながら かば焼き→
そして ロケーションで さまざまな
事を思い巡らせながら→
食べてらしたんですね きっと。
すごく思い出が ぎゅっと詰まった浦賀の港ですから。本当ですね。
無事に帰ってこれたから
今があって→
開国して 日本がだんだん世界と
肩を並べてくるという→
そういう時間の流れを
感じながら→
うなぎを 一箸一箸ずつ

食べてたんじゃないですかね。
浦賀の海を見ながら味わった
うなぎのかば焼き。
勝 海舟には黒船や咸臨丸の情景が
思い浮かんだのかもしれません。
晩年 勝は要職を離れ
静かな暮らしを送ります。
そのころの微笑ましいエピソードを
高山さんが披露してくれました。
幕末の志士っていうと お酒飲んで
語り合うみたいなのが→
結構 イメージで湧くと思うんですけど
海舟は下戸なんですね。
どちらかというと 今で言う
スイーツ男子で 甘い物大好き。
明治になってから 氷川の家には
お台所で 居間の一番奥の所に→
四畳半で お菓子部屋があって。
お菓子部屋があったんですか。
おとぎの国みたいですね。
スイーツ男子だったとは。
見た目 怖いですもんね
写真だと強そうで。
サンフランシスコ航海記に アイスクリーム
食べて おいしかったって→
ちゃんと書いてあるし→
長崎で勉強してる時も オランダ人の教官から頂いたチョコレートが→
とてもおいしかったって
ちゃんと書いてますし。
甘いものに目がなかった勝。

幕末にもあるエピソードが残されています。
こちらは 東京・文京区にある
和菓子店。
3代将軍 家光の寛永年間に創業。
当時 和菓子は京が中心でしたが→
こちらは 生っ粋の江戸町人が
開いたという老舗です。
創業当時から作り続けている
もなかが 勝の好物でした。
ところが このもなかが
食べられなくなる危機が。
幕府が崩壊したため
官軍との商売を潔しとせず→
店は 閉店を考えたのです。
勝先生の書を 頂戴したわけです。
この時 勝が店に贈った書が
今も大切に飾られています。
神頼みではなく
気力でやりなさい。
庶民が大好きな うなぎが
勝先生が好きだったと聞いて→
とてもうれしく思いましたよね。
江戸の庶民たちが開発してきておいしく作ってきた うなぎを→
浦賀でも食べて もちろん江戸でも
たくさん食べたんでしょうね。
ペリーにも うなぎを出せば
よかったですね 多分ね。
出してなかったんですか?
出してなかったんですね。
♪♪~

2018/03/15(木) 10:15〜10:40
NHK総合1・大阪
趣味どきっ! 幕末維新メシ 第6回「勝海舟〜思い出の浦賀“うなぎ”〜」[解][字]

幕末維新の英雄たちのグルメをひもとく。今回はうなぎが好物だった勝海舟と思い出の地、浦賀。出演は原口泉(「西郷どん」時代考証)、柳原尚之(料理研究家)、勝村政信。

詳細情報
番組内容
幕末維新の英雄たちが愛したグルメから素顔をひもとくシリーズ。今回は黒船来航を機に幕末の表舞台に躍り出た勝海舟。咸臨丸でアメリカに渡り、新政府では海軍の要職に就いた。勝の思い出の地、浦賀を巡り、好物のうなぎを食しながら新たな一面を紹介する。また、江戸時代に食べられていた「うなぎのころいり」を再現する。出演は原口泉(「西郷どん」時代考証)、柳原尚之(料理研究家)、勝村政信。
出演者
【講師】志學館大学教授…原口泉,【出演】料理研究家・江戸懐石近茶流嗣家…柳原尚之,勝村政信,勝海舟子孫…高山みな子


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