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2018/05/09(水) 22:25〜23:10 歴史秘話ヒストリア▽お城の国ニッポンを作った男 伝説の棟梁(りょう)中井正清[解][字]

いうふうにも思い込んでもいまし
た。
天空を目指してそびえる壮麗な天守。
圧倒的な存在感に
心 揺さぶられます。
江戸時代 日本には→
天守を持つ城が なんと150。
今日は そんな
お城の国ニッポンを作った→
男の物語です。
♪♪~
2年前 お城の歴史を揺るがす
大発見がありました。
その姿を
正確に伝える絵図です。
僅か15年しか存在しなかった…
その幻の姿は…。
なんと 3つの天守がそびえる…
ところが…。
この城を 僅か半年で築いた
男がいます。
世界遺産 二条城や
駿府城など→
家康の城を
数多く手がけた→
天下人の大工頭です。
家康の要求はいつも過酷。
いかなる事あろうとも
今年中に天守を建てよ! 急げ!
しかし 正清は


どんな要求にも応えます。
まさに…
どうすれば 部下の底力を引き出せるのか。
どうすれば→
建築コストを削減できるのか。
それまでにない やり方で→
家康の信頼を獲得していくのです。
お城の国ニッポンの誕生を
リードした→
伝説の大工の棟梁。
その知られざる大活躍です。
♪♪~
「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も
どうぞ おつきあい下さい。
それにしても 日本のお城って
ほんとに すてきですよね。
これまで私も 熊本城や二条城→
備中松山城など→
各地の名城を訪ね
壮大さに心を打たれました。
こうしたお城が全国にあった
江戸時代以来→
天守がそびえる姿は→
いわば日本人の原風景となりました。
今日は そんな原風景を
つくったとも言える→
伝説の 大工の棟梁のお話。
それが この人…
徳川家康のもとで→


お城の設計から 大工の手配資材の調達などを→
一手に引き受けた…
まずは 天下人と大工の棟梁2人の出会いの物語です。
徳川家康は
大勝負に臨もうとしていました。
決戦の地 関ヶ原に到着したのは
午前3時。
まず 陣地の構築が行われました。
ここが よい。
ここに わしの陣を置く。
大工頭!
≪はっ!
速やかに 陣所を作れ。
かしこまりました。
大工頭は…
工事は 一刻を争いました。
急ピッチで進む家康本陣の構築。
その 出来しだいでは→
勝敗に 影響を与えかねません。
そして…。
(家康)かくも早く堅牢なる普請…→
見事じゃ!
もったいなき お言葉。
正清の
完璧な仕事のおかげで→
家康は 素早く
戦闘態勢につけました。
(銃声)
激戦の末 戦いは徳川方の勝利に終わりました。
籐右衛門 褒美を取らす。

(正清)ははっ!
戦いの後 正清は
陣羽織を賜ったと伝わります。
家康が
正清の才能を認めた瞬間でした。
正清は 奈良 法隆寺門前の
宮大工の家に生まれました。
父の代からは
戦国武将の仕事も担っていました。
関ヶ原の翌年
正清は 家康から呼び出されます。
その方を 畿内の大工頭とする。
励め。
ありがたき幸せにござりまする。
大抜擢でした。
手始めに 重要なプロジェクトを
任されます。
京の都に 徳川の城を築く
というのです。
それまで
京のお城といえば→
何といっても
豊臣秀吉の「聚楽第」。
外国人宣教師が→
その すばらしさを記録しています。
「堀と石垣に囲まれた建物は→
まさに 豪華絢爛。→
部屋は 金色に輝き→
驚かずにはいられない」。
正清が求められたのは

なんと 聚楽第に勝る城。
豊臣家に代わる天下人として→
徳川の権威を見せつけるためでした。
そして建てられた…
天下人にふさわしい豪華さが今に伝わります。
更に この工事は もう一つ
正清の能力を明らかにしました。
大工たちの名簿です。
工事に参加した大工は100人近くに及びました。
正清は
一人一人の腕前を見抜き→
こまやかな心配りをしたと
いいます。
それから 非常に こう何か
大きな器といいますかね→
何か そういう こう…
そんな ある日。
親方。
なんや。
江戸より御書状が…。
書状?
京に住む正清に
今度は 江戸で城を造るよう→
家康の命令が下りました。
ちょうど そのころ 全国で→
関ヶ原の戦いの後に
領地を得た大名たちの→
築城ブームが
起きていました。
幕府が置かれた江戸も

開発の真っ最中。
徳川の力を
天下に見せつける城が→
築かれようとしていました。
正清は お城の国ニッポンのいわば お手本となる城を→
手がける事になったのです。
2年前 その時 築かれた江戸城の姿を伝える絵図が→
発見されました。
本丸には 巨大な大天守。
脇を 小天守が固めています。
「連立式天守」と呼ばれるスタイルです。
同じスタイルの城として知られる
世界遺産 姫路城。
しかし 家康の江戸城は→
この城を大きく上回るものでした。
大天守の高さは
およそ70メートル。
なんと 姫路城を
20メートル上回ります。
正清が築いた城は 徳川の権威を
人々に 強く印象づけました。
「家康公が建てた 江戸城の天守は
なんと五重。→
富士山と並んで
雲の峰にそびえ→
夏も 雪のように白く
趣がある」。
一躍 時の人となった正清。
家康に とても気に入られていた事が分かる→
人間味あふれるエピソードが

伝えられています。
飲みっぷりもじゃが→
見事と申さばそなたの造る城よ。
天下無双とは そなたの作事を
言うのであろうな。
(正清)さすが!
さすがは大御所様や。
わしの腕が
お分かりになるとは→
天下人になられただけの事は
ある!
正清は 酒を飲むと→
ついつい 気持ちが大きくなったといいます。
これ 大和守 無礼なるぞ!
(家康)まあ よいよい。
天下人に愛された正清。
そしてすぐ 信頼に応える機会がやって来ます。
家康が隠居するために築いた
駿府城が焼けたのです。
完成から 僅か2か月。
天下人は寒空に焼け出されました。
数日後 京にいた正清に
駿府城焼失の知らせが届きます。
正清は 大工たちを引き連れ
駿府まで駆け抜けました。
火事の僅か1週間後→
大工が「雲霞のごとく」押し寄せたと言われます。
正清は 到着すると すぐに
駿府城再建に取りかかりました。
そして 瞬く間に

城を完成させました。
2年前から続く
発掘調査によって→
正清が造った城の規模が
明らかになりました。
なんと 江戸城にも匹敵する→
大規模な城だったのです。
(家康)
こたびも ようやってくれた。→
さすが 頼りになるは
中井大和守よ。
もったいなき仰せ。
大御所様今後も 成し難き作事は→
何なりと この大和守に
お申しつけ下さりませ。
家康は
こう 語ったといいます。
「建築に関する事は
どんな事も→
正清に任せるのがよい」。
天下人と 伝説の棟梁。
2人の出会いが→
お城の国ニッポンの象徴となる城を→
次々と生み出したのです。
中井正清は 巨大なお城を4つ築いていますが→
それぞれに
家康の重要な目的がありました。
二条城は
征夷大将軍になった家康が→
「祝賀の儀」という→

一大イベントを行った お城。
江戸城は
最強の軍事要塞であり→
かつ 出来たばかりの
幕府の力を→
天下に見せつける役割も
ありました。
そして 駿府城は
家康が隠居したお城。
引退しても なお
徳川の世が続く象徴でした。
そして 正清が
家康のために築いた→
もう一つのお城が→
天下随一の名城とたたえられた→
名古屋城です。
この城を築いた時の正清はまさに 「プロフェッショナル」。
その 「仕事の流儀」って
どんなものだったんでしょう?
屋根に 金のしゃちほこ。→
そう 名古屋城です。
家康の城で ただ一つ→
江戸時代 火災で天守が失われなかった 名古屋城。
太平洋戦争の空襲で焼けるまでの
およそ300年→
日本最大の城として
そびえました。
そんな名古屋城を→
中井正清がどう 築いたのか→
その詳細を伝える記録が

残されています。
浮かび上がるのは→
数々の壁を乗り越えて城を完成させる→
頼もしきリーダー像。
そこで…。
お~ お待たせしましたな。
えらい すんまへん。
名古屋城築城の
7か月に密着しましょう。
大プロジェクトをまとめ上げる
お城建築の第一人者。
極意は 類いまれなる統率力。
心をつかみ…
♪♪~(「プロフェッショナル」の主題歌)
初夏の風薫る 5月。
中井に 一通の書状が届いた。
天下人 徳川家康からだ。
「名古屋城を築城せよ」。
ただ 納期は示されていなかった。
そして 名古屋では
順調に石垣が完成した。
ところが ひと月半後。
「名古屋城を 年内に完成させよ」。
天下人の急な心変わりだった。
理由は定かではない。
残された時間は
僅か「半年」となった。
中井が焦っていた。
実は 中井さんは→
無理なスケジュールに応える

秘策を持っていた。
兵庫県 明石城。
その2階で「秘策」が明らかになる。
注目するのは 柱。
しかも…
中井さんは 城造りに→
「統一規格」という革命的な秘策を用いた。
どんなものか見てみよう。
この時代 石垣を真四角に築く事はできなかった。
そこで
石垣の上に立てる建物は→
石垣が出来上がったあと
その形に合わせて 建てていた。
これに対して 中井さんは→
石垣の内側に同じ規格の柱を使い→
真四角の建物を建てる事にした。
1層目だけが 石垣に合わせた形。
2層目からは 真四角になる。
これによって石垣が どんな形でも→
同じ規格の建物を
同じ規格の材木で→
造る事ができる。
そうすれば 工事が始まる前に材木を用意しておける。
中井さんが大規模に取り入れた
「統一規格」。
お城を建てるスピードは
革命的に早くなった。
…というふうに
言ってよいと思います。
天下人の厳しい注文を受けた

中井。
名古屋の現場に入った。
自信に満ちた表情。
焦りの色は消えていた。
工事図面が完成。めどがついたのだ。
あとは 最新の技術で壁に挑む。
ところが…。
中井は はるか以前から
木曽に足を運び→
ヒノキの調達を始めていた。
木曽川に流せば→
材木は あっという間に
名古屋に到着する。
ところが 川筋近くの木は
既に切り出されていた。
そのころ起きた
築城ブームのせいだ。
この日 作業場を訪れる
男たちの姿があった。
建設資材の入札だった。
どんな状況でも ベストを尽くす。
残り あと5か月。
中井さんが受け取った釘や かすがいの見積書が→
残っている。
又兵衛という鍛冶屋は米で4,280石。
弥左衛門は 3,300石。
競争入札で 一番安く請け負う鍛冶屋に決めた。
これだけ大規模な現場で→
細かい予算管理は画期的だった。
秋の気配を感じる 8月末

ようやく 材木がそろった。
勝負をかける時は 今。
動員できるかぎりの大工…
彼らの力を引き出す
更なる秘策があった。
名古屋城築城に参加した
大工たちのリスト。
中井は 大工たちを
4つのグループに分けた。
このグループ分けこそ
「秘策」だった。
まずは 中井が最も信頼する
同じ集落出身の大工。
次に つきあいが長く
力量をよく知る 奈良の大工。
木材を組み上げていく
失敗が許されない作業を任せた。
そして 3つ目は…。
このグループには名門の棟梁が名を連ねた。
京都で 代々 足利将軍家の
御用を務めた池上家。
信長の安土城を手がけた
岡部家など。
腕に覚えがあり
プライドが高い彼らには→
大量生産できない部分を任せた。
屋根の破風など一流の細工が求められる。
中井は 家ごとに持ち場を分け
技術を競い合うよう しむけた。
そして 4つ目のグループは→

お城の建築に関わった事のない町の大工たち。
実力が分からない彼らには→
比較的 簡単な仕事や→
人手が足りない場所の
フォローを任せた。
先ほどのリストから→
彼ら町の大工たちの力を引き出す→
中井の工夫が分かる。
何人かの名前の上に→
「せいだしもの」と記した
付箋がある。
一人一人にあった場所を任せ
底力を引き出す。
中井の手腕で
大工たちの士気は高まり→
工事は 急ピッチで進んだ。
納期まで ひと月余りを残したこの日。
正装に身を包んだ
中井の姿が→
名古屋城の天守にあった。
大工仕事の終わりを告げる上棟式。
伝説の棟梁 その真骨頂。
中井が 4か月で完成させた名古屋城は→
その後 300年
天下の名城と うたわれる。
♪♪~
ぷろ? ぷろへ… ぷろへのしょ…あ~… そりゃ何です?
そういう事じゃないかと
思うんですね。
プロフェッショナルの仕事は

時代を超えて なお輝く。
天下の名城を築いた 中井正清は→
実は 他にもすばらしい仕事を残しています。
例えば
国宝の建物が数多くある 法隆寺。
江戸時代の初めに行われた
大修理を率いました。
京都の知恩院や
仁和寺→
江戸の
増上寺も→
正清が
腕を振るったお寺です。
そして 1608年 正清は→
史上空前の巨大伽藍の建築に挑みます。
ところが それが→
戦乱のきっかけになってしまうのです。
江戸や駿府での仕事が
一段落した頃。
正清のもとに 家康のライバル
豊臣家から依頼が届きました。
当時 京の都で造られていた→
巨大な大仏を安置する建物。
父上がなさった 大仏様造りを
わしも行うつもりじゃ。
豊臣秀吉から
息子・秀頼に受け継がれた→
一大プロジェクトです。
実はそのバックアップをしたのが→
家康でした。

融和ムードが高まっていたのです。
心の声
大仏殿の仕事を やり遂げれば→
ご両家の仲は
更に確かなものになるやろ。
ただ 秀頼の大仏は巨大でした。
奈良の大仏を3メートル 上回ります。
巨大な大仏を収める大仏殿は
当然 今までにない大きさ。
大仏殿と同じくらいと言えば→
その大きさを想像して頂けるでしょうか。
正清にとって
大工の棟梁としての知恵と技を→
全て注ぎ込む大仕事でした。
そして6年後ついに 大仏殿が完成します。
その直後 正清は
大仏殿に足を運びました。
しかし その心中は
穏やかではありませんでした。
心の声
棟札に わしの名がない。
棟札は 工事を指揮した棟梁や
依頼主などの名前を記した板。
功績をたたえる意味があります。
しかし豊臣家が用意した棟札に→
なぜか 棟梁である正清の名前が
なかったのです。
心の声
豊臣のお方たちは腹に一物あるんやろか?→
せやったら えらい事になる。

間もなく 正清は不穏なうわさを耳にします。
大仏殿の近くに
豊臣家が作らせた鐘。
そこに刻まれた文字が→
家康の名前を真っ二つに断ち切っている。
家康は これを→
無礼な表現だと腹を立てたらしい。
(砲声)
正清の心配は当たりました。
これを きっかけに→
徳川と豊臣の 最後の対決→
大坂の陣が始まったのです。
豊臣方の武将真田信繁の活躍もあって→
徳川方は
大きな犠牲を強いられます。
天下取りの総仕上げで
思わぬ苦戦。
正清は ここでも
家康を支えました。
(家康)大坂の城を
そう たやすくは落とせまい。
私も 恐らく長陣と思い
この御本陣は→
いつまでも 安んじて
過ごして頂けるよう→
作事いたしましてござりまする。
大阪市にある 茶臼山。
大坂冬の陣で 家康は
この丘に本陣を構えました。
正清は たった5日で

御殿を完成させたと伝わります。
発掘調査で
瓦を敷き詰めた土間や→
煮炊きに使った
かまどが出土。
当時73歳だった家康は→
正清が築いた建物で持ちこたえたのです。
(砲声)
そして半年余りにわたる戦いの末…
これで 天下から
戦も のうなろう。
大和守 苦労であった。
はっ。
関ヶ原から16年。
数限りない工夫と知恵で→
徳川家康の天下取りを支えた
日々は 終わりました。
♪♪~
大坂夏の陣の翌年家康は この世を去ります。
その半月後
正清は 仕事に取りかかりました。
静岡市にある
国宝 久能山東照宮です。
幾重にも漆を塗り重ねた
極彩色の社殿。
家康のなきがらが
葬られました。
家康の死の3年後。
正清は 55年の生涯を閉じました。
正清の生まれ故郷…

死の直前 正清は→
同じ集落の大工たちに
贈り物を用意しました。
大きな鉄の茶釜です。
皆と共に語らいそして 仕事に精を出す。
この釜で振る舞われる
お茶とともに→
正清の心持ちは
受け継がれたといいます。
中井正清が その扉を開いた
お城の国ニッポン。
これからも お城は→
私たち日本人の心を魅了し続けます。
♪♪~
♪♪~
2018/05/09(水) 22:25〜23:10
NHK総合1・大阪
歴史秘話ヒストリア▽お城の国ニッポンを作った男 伝説の棟梁(りょう)中井正清[解][字]

徳川家康の天下取りを支えた大工頭・中井正清。二条城、江戸城、名古屋城など天下の名城を手がけたが、その工期はわずか半年ほど!?現代にも通じる巧みな仕事術に迫る。

詳細情報
番組内容
日本が世界に誇る歴史遺産「お城」。二条城、江戸城、名古屋城といった天下の名城を、たった半年あまりの工期で築き上げた伝説の棟梁(りょう)が「中井正清」だ。法隆寺の宮大工だった正清は関ヶ原合戦をきっかけに徳川家康に見い出され、天下人を城づくりで支える唯一無二の存在となった。その独創的な建築手法や部下の大工のやる気を引き出す驚きのマネジメント術など、戦国のプロフェッショナルの実像に、当時の史料を元に迫る
出演者
【キャスター】井上あさひ


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