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2018/06/21(木) 15:08〜16:00 ごごナマ「山形〜西郷どんの教え 今も〜」[字]

生字幕放送でお伝えしています
船越≫オトナの井戸端
「ごごナマ」3時台
まだまだ続きます。
船越≫編集長きょうはばっちりね。
阿部≫ちょっと後ろに
向いてしまいました。
この時間のお客様です。
2時台から引き続き
なぎら健壱さん。
そして俳優の迫田孝也さんです。
迫田さんといいますと
「西郷どん」で
これまで薩摩ことば指導を

担当されていました。
このたびご出演が決まった
ということです。
迫田≫ありがとうございます。
<拍手>
迫田≫そうなんです、ついに。
船越≫何の役をするんですか。
迫田≫おいは佐賀藩士
江藤新平をやります。
船越≫薩摩弁を指導をしている
本人が佐賀藩士?
迫田≫船越さん言わないで。
これから佐賀弁を勉強するんですから。
なぎら≫違うんですか?

迫田≫全然違うんです。
今までは「西郷どん」を

振られたら薩摩弁が出てくるので
これを壊すところから
やらないといけないので大変です。
船越≫江藤新平
いい役じゃないですか。
迫田≫いいお役をちょうだいしま
した。
船越≫江戸を東京にした人です。
迫田≫ようご存じで。なぎらさん
全然興味ないでしょう。
阿部≫きょうのラインナップです。
きょうは

「ごごナマ」ファミリーの誰かが
出演している番組を紹介します。
迫田≫イエイ!
<拍手>
迫田≫私が行きました。
山形放送局で行きました。
阿部≫後ほどゆっくり紹介します。
そして、なぎらさんのコーナー
「どっこい生きてるB面にっぽん」。
名所、旧跡ではない
B面的なところ後世に残したいものを
切り取っていきます。
なぎら≫本庄ですね。
阿部≫埼玉県のね。
なぎら≫本庄はアクセントが
難しいんですよ。
阿部≫埼玉がお好きですね。
なぎら≫まとめていきますから。

阿部≫最初は「掘り出しにっぽん」です。
迫田≫どん!
むちゃ振りもいいところです。
阿部≫今、始まるぞということ
です。
美保≫やばいね。
阿部≫山形放送局の
「東北ココから
西郷どんの教え今も」。
東北で今、関心が高いテーマを
掘り下げる新しい番組だそうです。迫田さんが
行かれたということです。
一緒に行かれた方もいるんですね。
迫田≫「西郷どん」で
有村俊斎役を演じている高橋光臣さんです。
迫田≫庄内地方です。
西郷さんと
全然遠く離れると思うでしょう?
でも西郷隆盛さんの人柄に関する興味深いエピソードが
残っているんです。
それを2人で聞いてきました。
美保≫あの写真
こなれた感じになっている。気取ってね?
迫田≫僕のだめ出しはどうでも
いいです。今から「西郷どん」の
やるんだから。山形の皆さん
ついに全国放送ですよ。
阿部≫迫田さん
振りをお願いします。迫田≫任せてください。
「東北ココから

西郷どんの教え今も」。
見てくいやんせ。
≫ことしの大河ドラマ「西郷どん」。
薩摩の英雄・西郷隆盛の
まっすぐな生き方が多くの共感を呼んでいます。
その西郷を愛してやまない人々が
東北にいます。
こちらのお宅には
ご先祖様の隣に西郷隆盛。
そして
天皇皇后両陛下の隣にも西郷。
どの家にも
西郷の肖像画が飾られています。
皆さん
ここは鹿児島じゃないんですよ。
実は山形なんです。
きょうは、西郷隆盛と山形の知られざる関係に迫ります。
その謎を探りにきたのは
大河ドラマ「西郷どん」と深い関係にある、こちらのお二人。
迫田≫ラ・フランス。
高橋≫薩摩弁、本当に難しくて…。
俳優の高橋光臣さん。
「西郷どん」では西郷の幼なじみで
薩摩藩士・有村俊斎を
演じています。
有村≫殿様を担ごうとして
処罰された方々への
御赦免もなかっちゅう話じゃ。
高橋≫のどぐろはちなみになんて言うんですか?
迫田≫のどぐろ。「ろ」。

そして、鹿児島出身の俳優・迫田孝也さん。
迫田≫何をしちょっとよ。
鈴木≫迫田先生。ジャケットを着ちょう。
迫田≫上手やなぁ。
薩摩弁が上手です。
鈴木≫おかげさまで。
ドラマでは薩摩弁の指導をしています。
高橋さんと迫田さんが
まず訪ねたのが、山形県酒田市。
迫田≫ないですよね
数えるほどしか、南洲神社。
若林≫実は本州では唯一。
あとは全部九州。
西郷を祭る南洲神社です。
九州以外ではここにしかありません。
一同≫こんにちは。
阿曽≫どうもいらっしゃい。
神社の管理・運営をしている
阿曽昇さんです。
高橋≫まる十のマークです。
迫田≫本当だ、島津家の。
それにしても、なぜ酒田に
西郷を祭る神社が
あるのでしょうか?
西郷隆盛とともにいるのは
当時、この一帯を治めていた
庄内藩の家老・菅実秀です。
迫田≫前から
お知り合いだったんですか?
1868年、戊辰戦争勃発。

庄内藩は幕府軍として西郷率いる新政府軍と
死闘を繰り広げました。
庄内藩は最後まで互角に戦いますが
奮戦むなしく降伏。
菅実秀は切腹も覚悟していました。
しかし、誰一人として
処罰されることはなく
市中に入った薩摩藩も
乱暴を働くことは
ありませんでした。
それは西郷の指示だったのです。
忠義に厚い戦いぶりを
認めていたからでした。
さらに庄内藩士たちは
帯刀をも許されました。
こうした西郷の寛大な心に
感銘を受けた菅は、藩士たちを
鹿児島に留学させたのです。
阿曽≫お殿様先頭に立って76名。
鹿児島まで歩いていって
教わってくる。
これは勉学だけじゃないんですよ。
迫田≫全然出てこないなと思った。
西郷の、そのおおらかな人柄に
魅了された庄内藩士たちは
寝食をともにしながら
さまざまなことを学びました。
その教えをまとめたものが
「南洲翁遺訓」。
西郷隆盛の思想が唯一残る

言行録です。
政治から日々の悩みまで
西郷が語ったことばを庄内藩士たちが書き残しました。
今でもその教えは
庄内の人々に大切にされています。
「南洲翁遺訓」の勉強会です。
48年間、毎月、休むことなく続けられています。
第五章。
子どもや孫に財産を
残して甘やかすのではなく
努力をさせなさいという教えです。
西郷家の家訓にもなっています。
二十五章は、人として正しい行いを心がけ、失敗しても
他人を責めるのではなく
自分の至らなさを反省しなさい
という意味です。
この「南洲翁遺訓」は
薩摩ではなく
なぜ庄内で作られたのか。
実は、この「南洲翁遺訓」の
編さんには、庄内藩士たちの
ある決意が込められていました。
迫田≫あっちがお城でしたっけ?
高橋≫それでこんなに
まっすぐな道がきれいに
残ってるっちゅうことなんですね。
訪れたのは、鶴岡市のある旧家。
さらに
西郷隆盛直筆の書もあります。
高橋≫いちばん、何かこう

どんと重い、豪華な…。
誰のお屋敷だったか
もうお分かりですよね?
2人≫よろしくお願いします。
高橋≫これが菅さんですか?菅≫はい。そうですね。
迫田≫ご本人っていうことですか。
菅≫はい、そうです。
高橋≫実際に、ここが?
迫田≫すごいところで私たち今、しゃべっているわけですね。
高橋≫正座しとかないといけない
んじゃないかなと思うくらい。
日本最後の内戦、西南戦争。
西郷は明治政府に不満を持つ士族とともに兵を挙げます。
しかし、逆賊とされ、西郷は
自決に追い込まれてしまいます。
庄内藩士たちは
志半ばでこの世を去った
西郷のために立ち上がります。
菅≫そうです。
鶴岡市の郊外。
周りを田畑に囲まれた
松ヶ岡地区です。
ここでは、今でも西郷の教えが息づいています。
代々この地に暮らす山田陽介さん。
幼いとき、父親から何度も西郷の肖像画の前で
正座をさせられた
記憶があるといいます。
松ヶ岡では、西郷のあることばが
今も受け継がれています。
家督を継いだ男性が持つ

「松ヶ岡開墾場綱領」。
困難に遭遇しても
自分の信念に従い努力をすれば
天は必ず見ている
という意味です。
名峰・月山のふもとに広がる
東京ドームおよそ68個分の開墾地。
かつて、ここ松ヶ岡は
原生林の中にありました。
松の大木が生い茂る森林に
分け入り
一本一本、樹木を倒し
地面をならしていきました。
それを行ったのは
庄内藩士たちでした。
特に、真冬の作業は
困難を極めました。
村人たちに頭を下げて
田畑の肥料を譲り受け
7kmの道のりを
そりで運びました。
この開墾には、武士としての
プライドを捨ててでも
成し遂げたかったことが
ありました。
高橋さんと迫田さんは
当時の開墾の様子が残る場所を訪れました。
2人≫こんにちは。
山田≫ようこそいらっしゃいました。
2人≫きょうは

よろしくお願いします。
当時、日本は
列強に追いつくために外貨が必要でした。
西郷の勧めもあり
庄内の武士たちは
良質のシルクを作ることで
国の近代化を目指しました。
広さ105坪の蚕室は
日本一の大きさを誇りました。
高橋≫すっごい広さだな。
彼らが過酷な労働に耐えたのは戊辰戦争での逆賊の汚名を晴らし
庄内藩士として国家に貢献したい
という思いからでした。
その心の支えになったのが
天だけはこの努力を見ているという西郷のあのことば。
庄内地方は、その後
日本有数の絹織物の産地へと発展します。
この日は、年に一度の開墾記念日。
松ヶ岡の男たちが開墾場に集まります。
≫樹木が固まって置いてあります。
そこに固めて置いてもらう。
当時、先祖たちが開墾作業を
始めていた同じ時刻から
式典の準備を行います。
12歳から75歳まで。
老いも若きも
松ヶ岡の男が団結して
共同作業に取り組みます。
世代を超えて受け継がれる松ヶ岡村の伝統です。
作業が一段落し

1本ののぼりが立てられます。
松ヶ岡を渡る風は
今も変わらず吹き続けているという意味です。
いよいよ開墾記念式典が
始まります。
西郷隆盛や、開墾を成し遂げた
先人たちを祭壇に祭ります。
≫綱領(こうりょう)唱和。
そして、西郷のあのことばが唱和されます。
この日、ふるまわれたのは
質素な料理。
開墾当時の人々の苦難に
思いをはせます。
西郷隆盛や祖先に恥じぬ生き方を
しているか。
松ヶ岡の人々は
みずからに問いかけながら
今も暮らしています。
迫田≫恒例なんですけれども…
名乗らせていただきます。
高橋≫結構いろんな大使…。
迫田≫そう、勝手にPR大使は
いっぱい持ってます。
でも知ってほしいって思いました。
<拍手>
阿部≫まず1つ、おわびがござい
ます、番組でご紹介しました
有村俊斎の斎の字が
誤っていました。
大変失礼いたしました。

西郷さんと山形庄内の大いなる
関わりあったんですね。
船越≫戊辰戦争。
迫田≫山形庄内の人は
倒幕になったときも
幕府に恩義を感じて
最後まで戦った
まとまりがあると言ってました。
そのときの時代から一丸となって
自分たちが信じるものに
エネルギーを注いでいたのは
今でも残っていると感じました。
船越≫西郷さんも
その儀に尽くした人たちを罰する
ことは
できないと。
そういうことに感銘を
受けたということですね。
迫田≫藩士も鹿児島に行って教えを受けて
本に残しているというのは
薩摩人として感謝したいです。
阿部≫純さんも
そんなに遠い昔のことではない
つながっているというふうに
言ってましたね。
美保≫そうですよね。
顔つきがすごいでしょ?皆さんの。
画面から直接見ているから
黙ったのはあのせいなのね。迫田≫いっぱいしゃべってますよ。
美保≫感動して

じわっときているから
あれはきますね。
迫田≫エネルギーが
静かなエネルギーというか
にじみ出てくるような
エネルギーを
あの写真から感じました。
美保≫立ち姿がなんか違うなって。
船越≫刀を差したままね
あそこで開墾作業をするというね。
なぎら≫迫田さんの出演など
関連性が最初
分からなかったけれど
そういうことなのかと思いました。
迫田さんなかなかよろしいですよ。
迫田≫どういうところが?
なぎら≫うとうとしちゃった。
<笑い声>
阿部≫実は、この番組を制作した
山形放送局の齋藤ディレクターが
迫田さんにごあいさつをということで
駆けつけてくださっています。
お隣、山形放送局長もいます。
美保≫すごいじゃない。
阿部≫齋藤ディレクターにより
ますと迫田さんはロケ中に
お酒が好きで
夜な夜な1人で
飲みに行って、午前3時くらいまで行っていたということです。
1回、寝坊したそうです。

迫田≫ばかやろう!
それを言うなよ。
船越≫台なしだよ。今のでね。
阿部≫あとは、迫田さんは
随所でひょうきんな性格を
生かしくださり番組にめりはりを
つけてくださったということです。
迫田≫いいパスを
送ってくれましたよね。
答えてくれない。
せっかくいいVTRを見たのに。
阿部≫迫田さんは
反射神経でコメントするというふうに話していました。
美保≫すごい編集
しにくかったんじゃない?
<笑い声>
迫田≫いっぱい出ていたから
菅さんも含めて、いっぱい言って
くださいましたよね。
齋藤さんに話しかけないほうが
いいですね。
みんな
僕のパスがあったんです。
船越≫あれパスだったんだ?
ちゃちゃだと思った。
迫田≫僕のパスは受けにくいと
いうのがここにいたら分かります。
阿部≫続いて日本の新たな魅力を
発見できるおすすめ番組です。
BSプレミアムで

毎週金曜夜9時から放送中の
「新日本風土記」。
各地に残る美しい風土や祭りそして人々の暮らしを見つめ
日本の新たな魅力を
美しい映像とともにお伝えしています。
22日金曜日の放送は
沖縄の人たちが
思いを込めて歌い続けてきた
沖縄のうたの物語です。
≫「新日本風土記」。
阿部≫癒やされる風景ですね。
船越≫日本の失われつつあると
言っていいかもしれません。
原風景ですからね。
こういうものにはなるべく触れる機会を多くしてきたいですよね。
阿部≫ことし放送開始から
8年目となる番組です。
番組では各地の魅力を
お伝えするだけでなく、撮影した
映像が未来への遺産となるように
目指して制作しているんです。
日本の文化、原風景を
未来の世代へきちんと伝えていきたいという思いを込めています。
先ほど最後に聞いていただいた
ナレーションのコメントです。
読んでいたの誰だったか
気付きましたか?
なぎら≫女性ですよ。
迫田≫純さん?
阿部≫正解はこの方です。

松≫「新日本風土記」の声を担当している、松たか子です。
阿部≫松さんは声の旅人として
放送開始以来、番組の案内人を務めていらっしゃいます。
松≫こんなに長く続けさせて
いただけるとは思っていなくて。
私はね、ぱっとひと言
言ってるだけですけど
その回を作る現場の方たちの
努力のたまものだと思いますし。
それをまた
なんとなく見た方が
耳を傾けてもらえることが
あるとするならば
すごくやっぱり、それは
うれしいことだなと思います。
日本各地の魅力を
再発見する「新日本風土記」
ぜひご覧ください。
歌歌い、訴える日々の喜び、島の愛。
20万人の無念
おじい、おばあの青春が孫の孫にも伝わるように。
阿部≫近づいてきた6月23日と
いいますと、沖縄の人たちにとっては特別な慰霊の日です。
沖縄のうたに特別な思いを乗せて
生きてきた人々の物語をつづっていきます。
阿部≫続いて
なぎらさんのコーナー
「どっこい生きてる
B面にっぽん」。
なぎら≫この時間帯になって

長いVがあるもので
なぎら、お前のコーナー
なくなったの?
どっこい生きています。
「どっこい生きてるB面にっぽん」ということでね
まだまだ生きている間
生きているものは
たくさんありましてそれを失うと
らしさがだんだんなくなるんじゃ
なかろうかということです。
今回行ってきたのは本庄です。
向こうの方が本庄というと
よそから来た方だなとすぐに分かります。
アクセントが違うんですね。
埼玉県の端です。
中山道、本庄宿です。
お城の下町を中心に
栄えたところで宿場町ですね。
本庄宿は中山道
69ある宿の中の10番目の宿
です。
大昔の建物は
非常に少ないんですが
明治以降の建物が
残っているところです。
この写真はすごいでしょ?
明治16年に建設されました旧本庄警察署です。
今、民俗資料館になっています。
文化財として保護されています。非常に立派な建物です。
奥にいろいろありまして

土地にまつわるものなんかを置いてあります。
この建物だけでも驚きます。
阿部≫れんがですね。
なぎら≫明治期の洋館でしょうね。
船越≫これは…。
なぎら≫あとで説明しようと
思ったんですけど。
民間のお宅は
そこを継ぐ人もいなくなって
いたとしても都心に出てしまって
帰ってくることはないよということで
荒れ果てておりますけど
この代で終わりでしょう
ということですね。
これを私はB面と言っています。
目に残しておきたいなという
風景がここにある気がします。
ちょっと歩いてきましたけども
果たして見つかりますかね。
2018/06/21(木) 15:08〜16:00
NHK総合1・大阪
ごごナマ「山形〜西郷どんの教え 今も〜」[字]

西郷隆盛の半生を描くNHK大河ドラマ「西郷どん」。西郷と深い繋がりがある山形県庄内地方を高橋光臣さんと、迫田孝也さんが訪れ、今も息づく西郷どんの教えに迫る。

詳細情報
番組内容
西郷隆盛の半生を描くNHK大河ドラマ「西郷どん」。実は、北日本で唯一西郷と深い繋がりのあるのが山形県庄内地方だ。西郷をまつる神社では毎月勉強会が開かれたり、今も自宅に西郷さんの肖像画を掲げる人々などが暮らす。薩摩から遠く離れた庄内となぜ西郷とのゆかりがあるのか、ドラマ出演中の高橋光臣さんと、薩摩ことば指導担当の迫田孝也さんがを酒田・鶴岡を訪れ、いまも人々の生き方に影響をあたえる西郷の教えに迫る。
出演者
【MC】船越英一郎,美保純,阿部渉,【ゲスト】なぎら健壱,迫田孝也


ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい

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