通称 国保と呼ばれる治安組織のメンバーとみられます。
10人以上が階段を塞いでいました。
トランプ大統領が北京に滞在した3日間→
国保は居座り続けました。
李さんが外出し→
目立った動きをしないよう
軟禁したとみられます。
日増しに強まる 当局からの圧力。
李さんはあるものを用意していました。
署名と ぼ印だけの白紙の委任状。
自分も逮捕された時→
弁護士に
使ってもらうためのものでした。
冬を迎えた中国。
弁護士を続けられるかどうかの瀬戸際にあった余文生さんに→
変化がありました。
事務所開設の申請がようやく受理され→
審査が始まったといいます。
妻の許艶さんは 司法試験には受かりませんでしたが→
2人で準備を進めていました。
余さんは 当局からのある要求を受け入れていました。
事務所の規約です。
政府が新たに定めた規定に従って書き加えました。
しかし 年明け早々。
突然 当局から2つの通知が送られてきました。
「個人事務所の開設を認めない」。
「余文生の弁護士資格を取り消す」というものでした。
そして…。
早朝 自宅を出た余さんをあの国保が待ち構えていました。
これは 当局が撮影し→
インターネット上に流されている映像です。
余さんは 取り調べようとする
警察に抵抗したとして→
公務執行妨害の疑いで
連行されました。
その夜。
余さんの妻許艶さんのもとには→
仲間の弁護士たちが
駆けつけていました。
余さんが連行された理由に
心当たりがありました。
弁護士の道を絶たれた余さんは
拘束される前日→
政府を刺激する意見を→
インターネット上で表明していました。
国家主席は
複数の候補者の中から→
選ばれるべきだというものでした。
この時 中国共産党は→
国家主席の任期の制限を
取り払い→
習近平体制の長期化に→
道を開こうとしていたのです。
その後 余さんは→
国家と政権の転覆をあおった疑いで逮捕されました。
夫のいない事務所に
一人残された 許さん。
再び会えるのは
一体 いつになるのか。
夫の王全璋さんの釈放を
求めてきた…
夫が拘束されてから 1,000日。
李さんたちの訴えは当局の圧力によって封じられ→
支援の輪は
広がりを見せていませんでした。
李さんは 709事件で
夫を逮捕された妻など→
同じ境遇の仲間たちと→
新たな抗議行動に出ようとしていました。
夫がいる天津の拘置所まで
12日間かけて歩く計画です。
人権問題に関心を寄せる
外国メディアを通じて→
国際世論に
訴えようというのです。
7日目の朝の事でした。
国保です。
李さんたちが泊まるホテルに
入っていきます。
外国メディアの隙を狙って
20人近くが集まってきました。
そして…。
今 李文足さんがホテルから出てきました。→
警察に連れられて
ホテルから出てきました。
「法律に触れる事はしていない」
と訴える 李さん。
しかし 国保は理由を示さないまま
取り囲みます。
李さんは
そのまま連れ去られました。
李さんは どこへ行ったのか。
翌日 仲間たちは自宅に向かいました。
そこには また 国保の姿が。
大勢の住民も集まっています。
アパートの入り口を塞ぐ
女性たち。
国保が 当局に協力的な住民を
動員したものとみられます。
状況は 緊迫していきます。