は~い。
(受話器を置く音)
♪♪~
(チャイム)
≪ごめんくださ~い。→
ABCCですが
検査のご相談に参りました。
勢以子 あんた
奥 隠れときんさい。何で?
いいけ。
今日も出かけとっておらんのですよ。そうですか。
今日も ご不在ですか。
(和子)わざわざ来てもろうたのにえらい申し訳なかったのう。
いえ こちらこそ急に来てしまって
申し訳ありませんでした。
では また日を改めて。
なぜ 被爆者ではない娘まで調査の対象にされるのか。
和子さんは
ABCCの依頼を拒絶しました。
勢以子 もう終わったけん ええよ。
お母さんうち 検査受けてもいいけん。
ちょっと
血 抜くだけなんじゃろ?
せんでええよ。
あんたは元気なんじゃけえ。
でも 友達も行くって
言っとったし。
(和子)
ほいじゃあ まあ 好きにしんさい。
では 勢以子さん こちらの車に。
被爆二世が抱え続けてきた放射線の遺伝的影響への不安。
それを
人一倍感じ続けてきた人がいます。
弟の史樹ちゃん。
白血病で亡くなりました。
まだ 7歳でした。
当時 12歳だった由樹さん。
一番身近にいた弟の死に
強い衝撃を受けました。
その後 両親は
史樹ちゃんが亡くなるまでの→
2年7か月の闘病生活を
絵本にしました。
亡き息子への思いをつづった…
爆心地から 2.3キロで被爆しました。
史樹ちゃんの死と被爆との
因果関係は分かりません。
ただ 自らを責め続けていました。
母 操さんの心情を克明につづった手記が残されていました。
もし 被爆の影響が
二世にあったとしても→
それは 白血病にかかる人が→
10万人に1人増える程度の事だという→
一部の声を
操さんは耳にしていました。
由樹さん自身は 3人の子どもと
7人の孫に恵まれました。
それでも
新たな命の誕生を迎える度に→
言いようのない不安に
襲われてきたといいます。
…いうのは思いますね。
放射線という 見えない不安と闘い続けてきた被爆二世たち。
それに追い打ちをかけるように→
いわれのない差別や偏見にもさらされてきました。
被爆二世の上野勢以子さんです。
その事を初めて肌で感じたのは大学生の時でした。
県外の大学に進学し
初めて広島を離れた上野さん。
出会ったばかりの友人たちに
自己紹介した時の事でした。
ねえねえ どこ出身なの?
俺は 島根で…。俺 山口。
2人は?
私は 一緒。
私は 広島。
私 被爆二世なんよ。
は? それって うつらんのんか?
「被爆の遺伝的影響を完全に否定できないのであれば→
国は対策を講じるべきだ」。
去年 二世の人たちは 国を相手に初めての裁判を起こしました。
原告は 広島と長崎の被爆二世
合わせて52人。
因果関係は分からないものの
がんや脳梗塞など→
重い病気を抱えた人も
含まれています。
これに対して 国は
「現時点で 遺伝的影響として→
明白に確認されたものはない」
として→
訴えの棄却を求めています。
原告の一人…
こちらに
お荷物 お預かりさせて下さい。
よろしいですかね。
角田さんも 二世を対象にしたABCCの調査に協力してきました。
調査は
後継組織 放射線影響研究所に→
変わった今も 継続されています。