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2018/08/11(土) 21:00〜21:50 NHKスペシャル「祖父が見た戦場〜ルソン島の戦い 20万人の最期〜」[字]


記されています>
<祖父は 戦場で何を見たのか。→

部隊の日誌を手がかりにたどる事にしました>
景一郎の足跡を追って
ルソン島に降り立った→
文惠と 母 公子。
景一郎がマニラの港にやって来たのは→
1944年6月5日。
当時 マニラは日本の占領下にあった。
(汽笛)
陸軍の病院船でルソン島にやって来た景一郎。
所属していたのは…
負傷兵の搬送や救護に当たっていた。
衛生一等兵として
アジア各地の港を回ったあと→
マニラで船を降り
陸上での任務に当たる事になった。
マニラに着いた直後 景一郎が
家族に宛てた手紙が残されている。
景一郎は


盲腸が極度に悪化し入院。
その時 病室から見た風景を
記していた。
文惠は
当時の地図や写真を手がかりに→
病院があったとみられる場所を
探して回った。
このマニラに 戦火は迫っていた。
1941年 日本の真珠湾攻撃によって始まった 太平洋戦争。
当初 太平洋の広範囲に
勢力を広げた日本軍。
しかし アメリカを中心とする
連合国軍は攻勢に転じ→
日本が占領していた島を
次々に制圧。
フィリピンに迫った。
アメリカ軍は 19万を超える大軍でルソン島に上陸。
激しい戦いとなった。
日本軍は20万人以上が戦死したとされる。
しかし
いつ どこで亡くなったのか→
正確に分かっていない兵士が
少なくない。
今回 日本軍に関する
極秘資料が見つかった。
アメリカが確認した
日本軍の遺体の数の記録。
アメリカ陸軍の諜報機関
G2が まとめていた。
戦闘の直後

現場に残された日本軍の遺体を→
一つ一つ確認し
部隊ごとに記録をとっていた。
この資料を分析した
ピーター・マンスール教授。
アメリカ軍が
戦死者の数を記録していたのは→
日本軍の降伏を促す心理戦などに
使おうとしたと見ている。
アメリカ軍の各部隊の
位置情報をもとに→
日本軍の遺体の数を重ね
可視化した。
赤い点一つ一つが 日本軍の遺体。
いつ どこで命を落としたのか→
その詳細が
初めて浮かび上がってきた。
このどこかに
文惠の祖父 景一郎もいるのか。
ルソン島に上陸した
景一郎の部隊がいた マニラ。
この周辺で確認された
日本兵の遺体の数は…
これまで
日本の記録では分からなかった→
地域ごとの戦死者の規模が
明らかになった。
<マニラの戦闘で1万5,000を超える
死者を出していた日本軍。→
今も市内の至る所に

戦闘の跡が残っています>
<当時 日本軍は
2万人余りの部隊が→
市街地に
立てこもっていたそうです。→
町を包囲したアメリカ軍は→
そこに激しい集中砲火を浴びせました>
<マニラで戦った部隊の元兵士が→
当時の状況を教えてくれました。→
森田義員さん 92歳>
<最終的には武器や弾薬もなくなってしまい→
手りゅう弾などを抱えて→
戦車に飛び込むしかなかったといいます>
<身元も分からない日本兵の遺体が
散乱していたそうです>
<激戦が繰り広げられたマニラ。→
祖父 景一郎の部隊がいた場所の手がかりが→
日誌に記されていました>
<イントラムロスという城壁に囲まれた→
昔の要塞のすぐそばに

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