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2018/08/22(水) 00:43〜01:32 NHKスペシャル「届かなかった手紙 時をこえた郵便配達」[字][再]

戦時中 日本の兵士が恋人や家族に書いた手紙が→
今 各地で
次々と見つかっています。
連合国の兵士が戦場で接収し
国に持ち帰っていた手紙が→
ようやく返還されているのです。
故郷の家族から 前線の兵士に宛てた手紙も見つかっています。
ある一人の兵士は
家族からの 34通もの手紙を→
死の間際まで携えていました。
故郷からの便りを心待ちにし→
自らの無事を伝える言葉を
懸命につづった兵士たち。
戦場と故郷を結んだ手紙は
軍事郵便と呼ばれ→
年間4億通に上りました。
しかし 戦況の悪化で多くの手紙は届かなくなります。
連合軍が 日本を探る情報源や
戦利品として→
持ち去っていったのです。
新たに見つかり私たちに託された手紙。
宛先を探し出して
遺族に手渡しました。
ああ 懐かしい…!
(泣き声)
父の顔を知らぬまま
戦後を生きてきた男性。
兵士たちは 誰を愛し 誰に愛され
手紙に思いをつづったのか。
戦場から届かなかった手紙を


家族に手渡す→
時をこえた郵便配達です。
戦場の兵士と故郷の人々を結んだ軍事郵便。
その調査をする…
海外のオークションなどで17万通を収集し→
届かなかった手紙を探しています。
戦場から持ち去られた手紙は→
推定10万とも100万とも
いわれています。
また 一通見つかりました。
日本軍が壊滅した南洋の島→
パラオで書かれた手紙でした。
軍事郵便保存会が見つけた数々の届かなかった手紙。
その中の一通。
宛先は 長野市の聾唖学校茂木とき子様。
差出人は 歩兵第十五連隊
奥住隊 茂木初男。
手紙は 前線で戦う兄が
故郷の妹に宛てたもののようです。
茂木さんが派遣されていたのは→
ペリリュー島でした。
部隊の記録によれば 茂木さんは
1万人いた守備隊員の一人でした。
昭和19年9月
アメリカ軍 4万人が上陸を開始。
守備隊は
激しい攻撃にさらされます。
そのさなか 茂木さんは妹に→
自分の無事を伝えようとしたようです。
妹の ときさんを訪ねて


長野に向かいました。
茂木さんの弟が健在でした。
初めましてNHKの駒井と申しますが。
カメラ来てますが。
すみません。 初めまして。
茂木芳雄さんです。
一家の写真を見せてくれました。
あっ これが?
出征する時なんです。
これが ときなんです。
で 私が これなんです。
当時 ときさんは 13歳。
耳と言葉が不自由でした。
茂木さんは 家にこもりがちな
妹の将来を考え→
両親を説得して
ろう学校に通わせたといいます。
学費も 茂木さんが働いて
工面してくれたそうです。
手紙を書いた後→
アメリカ軍の攻撃で日本軍1万人のほとんどが戦死。
茂木さんも ときさんへの手紙を
抱いたまま 亡くなります。
享年22でした。
芳雄さんから→
ときさんは今 神奈川の介護施設で
暮らしていると聞きました。
ときさんの息子 進さんに
案内してもらいました。
ときさんは 今も

茂木さんの思い出ばかりを→
繰り返し話すといいます。
初めまして。
ときさんです。
茂木さんの出征後手紙が届いた事は→
一度もなかったといいます。
兄が通わせてくれた学校で裁縫の技術を学んだ ときさん。
そのおかげで
子ども服の会社に就職。
夫とも出会い 家庭を築きました。

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ikatako117

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ikatako117