<世は 幕末>
<福沢 諭吉は 24歳のとき→
港を開いて間もない 横浜へ行き→
ショックを受けた!>
<これまで 蘭学を学び→
オランダ語は マスターしていた
諭吉だったが…>
う~ん…。
<外国人居留地の言葉は…>
≪(英語)
あの あの… すみません。ちょっと ちょっと。
<外国人に
オランダ語で話し掛けるが→
英語で答えられ 通じない>
ハァ…。
<こんなことで
くじける男ではなかった諭吉は…>
<欧米の言葉と文化を学ばねば>
<25歳の福沢 諭吉はあるチャンスを聞き付けた>
<幕府が 軍艦 咸臨丸を
アメリカに送るとのこと>
<諭吉は 知人たちをたどり
何とか その一員に>
<かの 勝 海舟 艦長の下→
通訳には ジョン万次郎こと中浜 万次郎など 総勢90余名>
<これが 日本人による…>
<品川を出港して 37日間でサンフランシスコに到着>
<街を走る馬車に…>
<ホテルでは じゅうたんを敷き詰めた その上を→
靴で歩くことに 衝撃を受け>


<進んだ…>
<中でも 驚いたのが
アメリカ人たちの…>
<諭吉も 当時の日本人としては
大柄だったが→
見れば どの男性も女性も…>
<しかも それは…>
(福沢)ああ…。
<さらに この…>
うん?
<こうして江戸に戻った諭吉は…>
<アメリカでの体験を交えて…>
言葉といえば 英語だよ。分かるか? 分かるか!?
<この普及にも乗り出した>
(福沢)なあ 君たち。(塾生)福沢先生。→
どうなされました?
<牛肉はまだ手に入りにくかった>
(福沢)いいか?
ここで やろうか。(塾生)いや…。
<諭吉は 牛肉を味噌で煮込み→
そこに こんにゃくや豆腐ネギを加えて 食べやすくした>
遠慮はいらん!
はい。
うまいぞ。
どうだ?
<欧米に学べと説く 諭吉は→
文久2年 26歳でヨーロッパへ→
明治目前の慶応3年には
再度 アメリカへ>
<そして 『西洋事情』『西洋旅案内』


『西洋衣食住』などを書き→
当時のベストセラーに>
確かに…。
ああ こんにちは。
<維新を前に新知識の啓蒙に努め→
日本における西洋通の
第一人者となっていた>
<ちなみに このシーン>
<NGなしの 一発 OK!>
見応えありましたね。
(三田)でも あれだけ 牛肉がはやりだしたということですよね。
ただ 牛肉 食べ始めるんですけど
ホントに 牛肉 少ないんです。
結局 外国人たちは…。
はぁ~ そっか。冷凍技術がないから。
(三田)
ちなみにですね このころ…。
それが こちらです。
もう このときから?
但馬国の辺りの牛を
神戸の港まで連れてきて→
横浜に回すんですね。
これで 神戸ビーフってことになってくるわけですね。
なるほど。
(磯田)そのため 当時の日本人は…。
あちら。
(磯田)それが 身長。
<黒船を率いた…>
<アメリカでは 珍しくない。一方…>
(三田)こちら 朝廷を牛耳っていた岩倉 具視の等身大パネルです。

(磯田)えぼし 抜いちゃったらここぐらいまでですからね。
正確な記録 残されていないので→
当時の日本人の平均身長で作ってみました。→
これが 身長155cmです。
<そこで 日本人成人男性の→
平均身長の変化を
調べてみると…>
<鎌倉時代には
159cmあった身長が→
江戸時代は 155cmと

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