独学で 身につけました。
同級生の原さんは
大学生の時の事を覚えています。
七保子は 稼いだお金を
母に渡し 家計を助けます。
1歳下の弟・八曾男を→
早稲田大学に入学させる事もできました。
七保子は 進学できなかった
自分の分まで頑張ってほしいと→
弟の学費も負担しました。
まだ19歳にして→
母のため 弟のため
必死に働く 七保子。
そして 人生を変える出会いが
訪れます。
その日 七保子は→
帝国ホテルのロビーでコーヒーを飲んでいました。
すると突然
男性から 声をかけられます。
「ある方が あなたと話したいと
言っています」。
部屋に案内されると
一人の男性が座っていました。
その人物は なんと…
第2次世界大戦後→
インドネシアを独立に導き
「建国の父」と呼ばれる英雄でした。
当時 戦後賠償の取り決めを
行うため 度々来日。
大の親日家としても
知られていました。
出会いから2か月後→
七保子のもとにスカルノ本人から→
手紙が届きます。
「是非インドネシアに来てほしい」。
思いも寄らぬ誘いでした。
昭和34年 19歳の七保子は→
インドネシアに渡る事を
決心します。
激動の日々の始まりでした。
バン バン たたいて。でも ほんとに…
義侠心 正義感の強さ→
弱い者 それから負けてる人を助けたいっていうのは…
でも そこから…
ハッハッハッハッ!
やめたんですか?
3カラット半ってどれぐらいですか? デヴィ夫人。
これは いろんな ちっちゃい石が
たくさん入ってるんですけど…
(池田)ちょっと小さめですね。
そうね ふふふっ。
昭和34年9月 七保子は→
ひそかにインドネシアに渡ります。
親族以外に事情を話せず
極秘での渡航でした。
住まいは 首都ジャカルタ郊外の
高級住宅街。
♪♪~
七保子の渡航を手助けした人がいます。
現在も ジャカルタで暮らす…
当時 インドネシアと取り引きしていた商社マン。
スカルノ大統領とも
親しくしていました。
それが最初。
物おじしない七保子は→
スカルノの周囲でも
存在感を高めていきます。
七保子は
スカルノからもらった金を→
母の生活費や 弟・八曾男の学費に
充てるため 仕送りを続けます。
早稲田大学に入学した八曾男は
自転車部で 活躍していました。
大学の先輩…
八曾男は 大学2年生の時→
2人乗りの自転車レース
「タンデム」で→
全国2位になります。
部活も学業も順調。
インドネシアにいた七保子は→
弟の活躍に 目を細めていました。
ゆくゆくは 八曾男を アメリカの
大学に留学させたいと→
その資金も ためていました。
ところが インドネシアに渡って3年後 悲しみが襲います。
母・まさが
脳出血で亡くなったのです。
65歳でした。
更に悲劇が続きます。
まさが亡くなって2日後→
今度は 弟の八曾男が自ら命を絶ったのです。
その理由について→
母を亡くしたショックからだと言う人もいれば→
友人関係の こじれが原因だと
言う人もいます。
本当のところは
分かりませんでした。
その時の心境を 後に七保子は
こう つづっています。
「一度に私を襲った