2018/10/16(火) 16:47〜17:53 ten.【日本発の最先端がん治療大阪で開始「重粒子線治療」とは?】[字]
安全は作れても、
安心は皆さんの心で作るものです
から。
>>今も農家を悩ませ続ける、
放射能の風評被害。
事態を打開すべく栽培が始まった
緑色の稲の正体とは。
原発事故によって、
ふるさとを追われた農家が今、
直面している現実をゲキ追した。
>>去年ですね、
年末ぐらいに建てて、ことしから
住み始めています。
>>佐藤豪さん38歳。
和歌山県印南町に暮らし始め、4
年が経過していた。
妻と2人の息子に囲まれる生活。東日本大震災前には、想像もして
いなかったものだという。
和歌山から600キロ以上離れた福島県南相馬市。
代々続く農家の4人きょうだいの
次男として生まれた佐藤さん。
コメや野菜を育てていた田畑も、
生まれ育った家も、
福島第一原発から半径20キロ圏
内にあったため、
一家は皆、
避難を余儀なくされた。
震災から2か月たった2011年
5月。
野菜栽培のノウハウを学ぶために、
京都府の支援制度を使って、一人、
関西に来た佐藤さん。
>>一番いいのは、
地元に戻ってみんなと復興できれ
ば、
したいですけどね。
>>当時、
ふるさとへの強い思いを語ってい
た佐藤さんに、運命の出会いが。
>>少しだけ話しましたけど、爽
やかな、
明るい方ですね。
>>京都の農場で一緒に働いていたあき子さんと3年前に結婚。
2人の子どもにも恵まれた。
子育てのため、
夫婦で選んだのは、
和歌山で暮らすという選択だった。
自宅の近くに借りたハウスで、ト
マトの栽培を行う佐藤さん。
地元の農協などに出荷し、
経営も軌道に乗り始めているという。
>>今後ね、手も増えれば、
面積も増やしたいし。
もうちょっといけるかなって感じ
かな。
>>それでも頭をよぎるのは、故
郷、福島への思い。
>>どこまで元どおりになってん
のかとか、
どれだけの人が戻って、今、
どんな人が頑張っているのかとか、
売値っていうかね、
そういうのも気にはなるね、やっぱり。
>>帰りたいという気持ちもある
のかなと。
>>まあ、ゼロではないよなあ。
今は、でも、今はないな。
子どもが巣立つまでは。
ゼロっていうとなんか、切り捨て
るっていう感じになっちゃうから
ね。
だけどまあ、
現実的じゃないっていうのがあれだよね。
>>佐藤さんが生まれ育った南相
馬市小高区は今どうなっているの
か。
>>ここは震災後、警戒区域に指
定され、立ち入りが制限されたエ
リアでした。
ただ、
地元に残った農家の一部は農業を再開し、
田園には黄金色の風景が戻ってき
ています。
>>震災後、地元に残った農家は、
避難先から通いながら、
コメの試験栽培を行い、避難指示
が解除された2年前、
本格的な作付けを再開した。
農家にとっては待ちに待った収穫の日。
しかし、
刈り取ったばかりのこの新米が、
食卓に上ることはないという。
>>あくまでもこれは飼料米としてもう、
作付けしてるもんで、家畜の飼料
ですね。
>>栽培しているのは、
牛や豚などの餌として用いられる飼料米だ。
福島県内では収穫したすべてのコ
メ袋の放射線量を検査し、201
5年以降、