前田は見ていたという。
なぜ 全盛期の野茂は
任意引退書にサインして→
交渉に臨んでいたのか?
当時 野茂の代理人は→
大リーグ選手会の弁護士
ジーン・オーザに→
ある相談を持ちかけていた。
代理人が尋ねたのは日本の野球協約における→
任意引退に関して。
当時の野球協約に 任意引退した選手の「保有権」について→
記述がない事に
着目していたという。
野茂の代理人は オーザを介して→
日本野球機構に質問状も出していた。
今回 その回答文を入手した。
海外への移籍を想定していなかった→
当時の野球協約。
野茂はその盲点を事前に知った上で→
契約更改に臨んでいたと明かした。
確かに野茂には もう一つ壁があった。
アメリカとの間で結ばれた
日米間選手契約。
この契約では 日本選手が
大リーグと契約するためには→
日本球団と日本のコミッショナーの承認が
必要とされていたのだ。
日本野球機構が承認しなければ
任意引退が認められても→
日本に留め置かれる
可能性もあった。
しかし コミッショナーは
自ら判断を下さず→
全てを
近鉄一球団に委ねたという。
日本球界の将来も左右する判断を
任される事になった近鉄。
大リーグ挑戦が公になる2日前。
秘密交渉を行っていた事が分かった。
球団幹部と共に
秘密交渉に立ち会った人物が→
初めて取材に応じた。
秘密交渉に使われたメモ。
近鉄は ボーナス契約で→
野茂を引き止めようとしていた事も分かった。
1億円を超える年俸に
活躍次第で→
更に1億円近くが加算される
という破格の内容だった。
秘密交渉の冒頭。
幹部は 用意したボーナス契約を読み上げ→
近鉄に残留してほしいと
説得を試みた。
しかし 野茂は ただ黙って
頭を下げ続けていたという。
あの熱 見たらさ。
この秘密交渉で野茂の大リーグ挑戦が→
事実上 承認された。
野茂は 高額の報酬を捨て当時の大リーグ最低保証年俸→
およそ1,000万円で
海を渡る事を選択した。
エースを手放す事になった近鉄。
当時は 球団への見返りが全くない中での決断だった。
まあ 自分は…
それまで あの~ う~ん…
はい。
本当に やりたかったですね。
しかし それまでの
日本の慣習を破る野茂の行動は→
激しい非難にさらされた。
プロ野球関係者も口々に通用しないと発言した。
追われるように
渡米する事になった野茂。
この半年後。
(場内アナウンス)「1995 オールスター」。
野茂は アメリカの国民的祭典
オールスターの舞台に立っていた。
(実況)先発ピッチャー 野茂英雄。
先発を任された野茂は→
大リーグを代表する
9人の強打者を相手に→
無失点に抑える好投を見せ
全米を熱狂させる。
(一同)
NOMO! NOMO! NOMO! NOMO!
野茂の後ろに
誰も歩んだ事のない→
日本と世界とを結ぶ道が
できていった。
<輝かしい実績を捨て
非難すら浴びながら→
アメリカに渡った
野茂英雄さん。→
私は まぶしい思いで
一挙手一投足を見つめていました>
<アメリカをも脅かす
経済大国となった日本。→
ただ それは
組織の力によるところが多く→
たった一人の挑戦が