提示した 大リーグの球団に→
日本選手が移籍できる仕組みが
出来たのだ。
日本以外のアジア出身の
大リーガーも増えた。
今では 25か国 350人の
外国人選手が→
プレーするまでになった。
大リーグ挑戦から4年がたった 1999年。
野茂に
大きな転機が訪れていた。
肘を手術した影響から→
本来の投球ができなくなっていたのだ。
日本は そのころ
金融破綻の後遺症に→
苦しんでいた。
失業率は 5%に迫り→
日本人の多くが
明日への不安を抱えていた。
野茂も 培ってきた投手としての
地位を失いかけていた。
ドジャースからメッツに
移籍していた野茂は→
開幕前の3月 突然 解雇される。
すぐにカブスとマイナー契約を結ぶが→
再び 戦力外通告された。
その後 ブリュワーズに移籍するがここでも マイナー契約だった。
パーソナルトレーナーの
大川達也は→
不振に苦しむ野茂の姿を
間近で見ていた。
当時の映像が残されていた。
上半身をトレーニングする野茂の姿が記録されている。
当時 投手が肩周りなど
上半身の筋肉を鍛える事は→
リスクが高いとされていた。
しかし 野茂は→
復活のために あえて
そのリスクを選択したという。
マイナーリーグでの試合を経て→
ようやく つかんだこの年の大リーグ初登板。
野茂は 復活を懸け
マウンドに登った。
5回を投げ 対戦相手を
3安打1失点に抑えていた野茂。
(拍手と歓声)
6回 先頭の打者をヒットで出塁させた時の事だった。
ブリュワーズの監督だった
フィル・ガーナー。
その時の事を克明に記憶している。
「自分でつくったピンチは自分で決着をつける」。
ガーナーは 自らの手で
復活を手繰り寄せようとする→
野茂の気迫を感じた。
この年大リーグ史上 3番目の早さで→
通算1000奪三振を達成した野茂。
12勝をあげ 復活を果たした。
そうですね はい。
あれは すごいなと思って見てたんですよね。
ん~ まあ すごいかどうか
分かんないんですけど…
そして この2年後→
野茂はその年 最初に登板した試合で→
新たな伝説を作る。
大リーグの長い歴史が刻まれる殿堂博物館。
ここに その試合の記念ボールが
保管されていた。
ボストン・レッドソックスに
移籍した野茂は→
敵地 オリオールズパークの
マウンドに立った。
(拍手と歓声)
大リーグ挑戦から7年。
野茂は ベテランと呼ばれる
年齢にさしかかっていた。
その前年まで 8人の日本選手が
野茂のあとに続き→
この年には イチローも
大リーグに移籍していた。
ケガや手術などを経験し→
打者との駆け引きで勝負するようになっていた→
このころの野茂。
しかし この日は海を渡ってきた時のように→
ストレートで打者に挑んでいった。
(実況)ストライク!(歓声)
(実況)三振! 9つ目の三振。
(歓声)
(実況)三振。
(歓声)
(実況)三振!
(歓声)
(実況)11個目の三振を取りました。
(歓声)
(実況)観客 大喜び。
(歓声)
最後のバッターは…
ドジャースで野茂とチームメートだった→
デシールズは→
二塁手として 1度目のノーヒットノーランにも→
立ち会っていた。