が決まる。
>>大阪誘致決まりましたら、
ここに未来の都市のモデルが出来ることになります。
>>大阪の万博のテーマは、
いのち輝く未来社会のデザイン。
会場は、大阪湾に浮かぶ人工島、
夢洲だ。
万博の開催により、関西の街は、
どう変化するのだろうか。
今では当たり前となっている光景。
実は1970年、
あの万博がなければ、見られなか
った可能性も。
さらに最近では、
万博開催がきっかけで、
住みよさランキングで突如全国2
位に躍り出た街が現れた。
>>長久手っていう名前が、
世の中にいろんなメディアで目に触れるようになったっていうのは、
すごく大きいですね。
>>今はまだ何もない人工島の夢洲。
ここで万博が開催できたとしたら、
私たちに、
そして関西の街に、一体何を残し
てくれるのだろうか。
ゲキ追した。
1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会。
当時、
会場内でのアルバイトも経験し、
万博のとりことなった白井達郎さ
ん。
万博ファッションショーとして披
露されたパビリオンのコスチュー
ムや、
あべのハルカス美術館の太陽の塔展の連動企画として、
展望台で展示されている貴重な万
博グッズの数々は、
この白井さんのコレクションの一
部で、
その総数はなんと1万点を超える、
生っ粋の万博マニアだ。
>>私だけではなくって、
行った人みんな、未来はこうなると信じてましたもんね。お客さん
がみんなこう、
笑顔になって見れるような場所であったんですよね。
>>世界の国々から、また、
日本の各地から万国博に来た人々が一度は訪れた、調和の広場。
>>1970年の万博は、
人類の進歩と調和をテーマに、183日間開催され、
入場者数は当時の世界記録となる
6400万人以上を記録。
>>慈愛に満ちた母の塔が、
太陽の塔と相まって、広場の調和を保ちます。
>>この万博で紹介されたのは、
今では当たり前となった携帯電話。さらに。
>>一番初めのシャワー、かかり
湯でございます。
>>人間洗濯機など、
現代につながる技術も数多く展示され、アジアで初、
日本で最初の博覧会として大成功
を収めた。
そんな万博の遺産・レガシーが、
実は今の大阪の街並みの中にも数多く残っていた。
>>これも万博のときに出来た高
速道路ですね。
万博までは環状線しかなかったん
ですけれども、
そこから郊外に向けてどんどん延
ばすときだったんです。
>>大阪市に当時の貴重な映像が
残されていた。
マイカーブームで交通量が年々増
加していた、1960年代の大阪。
その後の経済発展を支えた主要な
道路の多くが、この時代、
大阪万博に間に合わせるために一
気に完成したのだ。
さらに世界的にも珍しいこんな場
所も。
>>この高速道路が、
そのときに作られたもので、
こちらちょっと見てください。
ビルの上に高速道路走ってますね。これ、
当時でも今でも画期的なものです
ね。
>>この大工事は、
万国博関連事業としてばかりではなく、
大阪を東西に貫く中央大通の心臓
部として、
大阪の将来の繁栄を支えるものと
いえましょう。
ビルの上に高速道路、
高架道路、合わせて12車線が走る、
世界にも例を見ない画期的な街づ
くりが、目に見えて進みます。
>>船場センタービルのその上の
高速道路も、
万博開幕直前の1970年3月に
完成。
>>大阪のメインストリートにも