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2018/12/22(土) 21:00〜21:50 NHKスペシャル 平成史 第3回▽“劇薬”が日本を変えた〜秘録 小選挙区制導入[字]


<経世会内部で反小沢を鮮明にした中村氏は→
小泉氏たちと
行動を共にするようになりました>
<小沢氏を公然と批判したことを

小泉氏に伝えると→
こう反応したと言います>
<この後 総理大臣になった小泉氏>
<小選挙区制の下 行われた郵政選挙で→
自らの意に反する候補者に公認を与えず 大勝。→
鮮やかすぎるほどの身のこなしでした>


政治改革を求める 世論のうねりはいつしか選挙制度改革へと姿を変え→
やがて 55年体制という→
強固な岩盤を崩していった。
1993年 平成5年3月。
経世会前会長の金丸 信が脱税の容疑で逮捕された。
多くのメディアが政治改革を促し
それに反対する者は→
守旧派というレッテルを
貼られることもあった。
後に自民党幹事長として→
難しい対応を迫られることになる森 喜朗。
社会が政治改革という熱に
浮かされていたと振り返る。
このころ 後藤田正晴は
宮沢内閣の副総理として→
一度は葬り去られた政治改革法案の
成立を目指していた。
しかし 中選挙区に強い地盤を培ってきた
議員の反発は根強く→
宮沢内閣もまた 政治改革法案を
成立させることができなかった。
そして 自民党にとって
最悪の事態に陥っていく。
野党が提出した 内閣不信任決議案。
激しい抗争の中で経世会を離脱した小沢らが野党に同調。
賛成票を投じたのだ。
小沢の側近だった平野貞夫。
この直後 小沢を含む44人と共に→
自民党を離党した。
更に 自民党に追い打ちをかけたのが→

武村正義や鳩山由紀夫ら→
改革に前向きな若手議員が
相次いで離党したことだった。
武村は 直ちに
新党さきがけを結成し→
政局の鍵を握ることになる。
そして 1か月後の1993年7月戦後政治は 大きな区切りを迎えた。
衆議院解散を受けた選挙で
新たに作られた政党が躍進。
自民党は 初めて下野し
55年体制は終焉した。
2度にわたって頓挫した政治改革法案は→
自民党と共産党を除く7党1会派で発足した→
細川連立政権に引き継がれた。
この時 主導権を握ろうと動いたのが新党さきがけの武村だった。
小選挙区と比例代表を並立させた制度を
前触れなく打ち出したのだ。
小選挙区を250議席とする一方で
比例代表も250議席とし→
小政党も議席を確保しやすくした。
今回 武村は その内幕を初めて明かした。
武村の案をもとにした
政治改革法案成立の鍵を握ったのが→
政権内で第一党だった
社会党の動向だった。
党内に小選挙区制に反対する議員を
多く抱えていたからである。
自主憲法制定を主張した自民党に対し
護憲を掲げ続けてきた社会党。
社会党にとって 憲法改正の阻止に必要な

議席を得るためには→
中選挙区制が有利だった。
1位しか当選できない小選挙区制では議席の維持が難しいとして→
反対の立場を貫いてきた。
その社会党が なぜ小選挙区制を受け入れていったのか。
今回 1989年に発足した
日本最大の労働組合の→
中央組織に関する資料を入手した。
連合 初代会長 山岸 章の6,000枚に及ぶ発言録だ。
800万人の労働組合員を束ねる
山岸は→
社会党に
絶大な影響力を持っていた。
山岸は 以前から→
小沢らとは違う形で二大政党制を構想していたという。
山岸は 社会党が 冷戦時の
イデオロギー対立を引きずったままでは→
いずれ ちょう落するという
危機感を持っていたという。
小選挙区制に あえて かじを切り
現実的な政策を打ち出せば→
社会党を軸とした政権も
可能だと考えていた。
社会党内で
山岸の構想への反発は強かった。
しかし
絶大な集票力を持つ連合の意向は→
無視できなかったという。
社会党が小選挙区制を受け入れた別の理由も→
初めて明らかになった。


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