2019/01/06(日) 13:50〜15:05 あの日 あのとき あの番組「象徴天皇 素顔の記録」[字]


昭和39年の東京大会以来→
スポーツを通じた障害者の社会参加を
後押しされています。
孫の悠仁さまが遊ぶ 木のおもちゃ。
皇后さまが プレゼントされたものです。
このおもちゃは→
知的障害のある人たちの授産施設で作られました。
皇后さまは この施設から→
木工製品や陶器を長年 購入されています。
皇室の私どもには
行政に求められるものに比べ→
より精神的な支援としての献身が
求められているように感じます。
役割は常に制約を伴い

私どもの社会との接触も→
どうしても
限られたものにはなりますが→
その制約の中で
少しでも 社会の諸問題への理解を深め→
大切なことを 継続的に見守り→


心を寄せ続けていかなければならないのではないかと考えております。
戦後60年を迎えた平成17年。
天皇陛下は 長年の思いを実現するため→
この年 更に一歩 踏み出されました。
戦争の犠牲者を慰霊するため→
海外の激戦地を訪問したいと
望まれたのです。
通常 相手国からの招待を受けて→
政府が決める外国訪問。
天皇陛下が→
自ら訪問の意志を示されるのは→
例のないこと
でした。
いっぺん話してみてね→
何か駄目そうだったら諦めるっていう感じではなくて→
やっぱり 何回でも
陛下が おっしゃるという。
非常に このことについては
深い思いを持っていらしたと思います。
平成17年4月の閣議決定。
戦後60年にあたっての→
天皇陛下の外国訪問が
正式に決まりました。
行き先は サイパンでした。
政府が アメリカなどに訪問を打診。
歓迎するという回答を得たのです。
天皇陛下の外国訪問の目的が→
戦争で亡くなった人たちの慰霊と
されたのは 初めてのことでした。
北マリアナ諸島 サイパン。

昭和19年6月。
日本が統治していたサイパンに
アメリカ軍が上陸。
日本軍は玉砕しました。
多くの民間人が自ら命を絶ち→
日本側の死者は
5万5,000人に上りました。
平成17年6月27日。
お二人は サイパンに到着されました。
遺族や元兵士の代表と面会し
言葉をかけられました。
ありがとう。
その日の夜。
お二人は
現地に住む 一人の日本人女性を→
夕食会に招待されました。
隣に席を設け 話を聞かれました。
修道院で暮らす 西川きみ子さん。
戦争で両親を亡くした孤児です。
戦後は 現地の人に育てられましたが→
日本人であることによる差別も受けたといいます。
西川さんは 昭和9年→
サイパンに移住してきた日本人農家に生まれました。
皇后さまと同じ年です。
9歳の時 アメリカ軍が上陸。
家族と共に この洞窟に逃げ込みました。
しかし 両親は目の前で撃たれ亡くなりました。
5人いた兄弟は 1人を残して死亡。
その1人とも戦後 離れ離れになりました。
お二人は 西川さんの話を

じっと聞かれていました。
半分半分。
分かち合ってる。それだけでいいですよね。
夕食会の中で→
天皇陛下は繰り返し→
こう述べられた
といいます。
「もっと早くに
来たかった」。
追い詰められた日本人が→
「天皇陛下万歳」と叫びながら身を投げた断崖 バンザイクリフ。
天皇陛下は
この時の思いを 歌に詠まれています。
日本は
昭和の初めから→
昭和20年の終戦まで→
ほとんど 平和な時がありませんでした。
この過去の歴史を その後の時代と共に→
正しく理解しようと努めることは→
日本人自身にとって→