ように置かれたブロック。
その先を進んでいくと。
「家が見えてきましたよ。ここなんだ、茨木台ニュータウン。」
ようやくたどり着いたのは、19
80年代、
バブル期に生まれた「茨木台ニュ
ータウン」。
「あそこにコンビニエンスストア
って書いてますね。」
まず、目についたのは、とある商
店。
しかし。
「あまり店らしくないですね。お店としては
もうやってないですね。」
実は、ここ、街唯一のお店だったそうです。
住人に聞いてみると。
実際に街を歩いてみると、確かに空き家が目立ちます。
「物置も壊れたりして、玄関には
蜘蛛の巣が張っています」
最盛期で230世帯あったそうで
すが、
今は150世帯に激減。
商店はおろか、学校も病院もありません。
住民およそ350人の7割近くが
「65歳以上」という超高齢化社会。
唯一の公共交通機関は、山道を2
0分ほどくだった場所に。
「銭原というバス停ですが、
こちらからJR茨木、阪急茨木方面に阪急バスが
動いているんですが、時刻表を見
ると、あら、
1時間に1本もないですね。これ
はかなり不便だな」
一番近いコンビニまで、およそ1
5キロ。
車を運転できないお年寄りにとっ
て、買い物さえ、容易ではありま
せん。
まさに「限界集落」ならぬ、
「限界ニュータウン」となりつつ
ありました。
「こんにちは」
村上クミ子さん75歳。
この地域に住んで17年。
夫と死別し、娘と2人で暮らしています。
頼りにしているのは、自治会が運
営する買い物バス。
買い物弱者のお年寄りのために、
住民たち自らが運転し、週3回、市内のスーパーまで走ります。
ただ、急勾配の道路が多く、冬は
凍結すると
車が動かなくなるため、村上さん
は
こんな「自衛策」を。
ここでの暮らしは、常に不安が付きまといます。
高齢化と表裏一体なのが「少子化
」。
この街には現在、小学生2人と中
学生1人のみ。
スクールバスに乗るためには、
坂道を1.5キロ下らなければなりません。
公園もご覧の通り…
街から子どもたちの声は消えました。
茨木台ニュータウンの標高は50
0メートル。
空き家が目立つこの街を、
かつて繁栄したあの南米の古代都市になぞらえ、
ネット上ではこう揶揄する声も…
「北摂のマチュピチュ」。
街が「限界ニュータウン」へと変
貌を遂げた裏には
こんな事情がありました。
そう、ここ「茨木台」ニュータウンは、
実は、京都府亀岡市にあるのです。
街は、茨木と亀岡のちょうど市境。
この地域の茨木市側は、開発当初
から、
一切住宅を建ててはいけない場所
でした。
一方の亀岡市側は「白地地域」と
言われ、
市の許可なく住宅を建てても、何
をやってもいい地域。
そのため、開発業者は「茨木台ニ
ュータウン」と銘打って、
亀岡市側で開発を行ったのです。
その結果、茨木市と勘違いして
購入した人が多かったと自治会長
は言います。
「亀岡だとわかったときはどう思
われました?」
ところで、街の入り口にあった車
の侵入を拒むような狭い道路。
これも、茨木市の施設と隣接する
場所に
無理やり造成したため。
大阪へ抜ける道は、その施設が管理する道路を
「間借り」する形となっているの
です。
なんと開発業者は、