(ナレーション)前回…。
デザイナーに売り込むための
宣材写真→
コンポジット撮影に挑んだ
学院生たち。
冨永の的確な指示に
パフォーマンスは高まり→
最高の写真が出来上がった。
(スタジオ:中島)みんな カッコ良くなったな。
(レスリー)今日…。
(アンミカ)確かに…。
ミカちゃんも見たことないでしょ
これで 愛ちゃん 撮りたいね。
どうですか? 愛ちゃん…。
(アンミカ)ぜいたく!(冨永)でも すごい…。
(冨永)すごい この後の
プレッシャーは すごいですね。
世界に誇るトップモデル冨永 愛が→
ポージングのお手本を披露。
全てが順調。
最後に待つアンミカとレスリー・キーの…。
これは…。
ついに 冨永 愛がコンポジット撮影のお手本を。
もはや 説明不要。
世界的トップモデル 冨永 愛。
モデル 冨永 愛には…。
…がある。
まずは この1枚。
(ジュニア)これな これや。
(藤田)どんなスタイル?
身長179cm日本人離れしたスタイルに→
高校生の制服という
アンバランスさは→
世界中のファッション関係者に
強烈なインパクトを与えた。
そして 翌年→
早くも 4大ファッションショーの1つ…。
しかし 18歳の冨永にとって→
この…。
ラルフローレンのモデルとして
招かれ→
衣装のフィッティングに向かった
冨永。
この年のラルフローレンの…。
それを表すコレクションが並んだ。
他のモデルたちが
きれいなドレスで着飾る中…。
ラルフローレンのスタッフが履いていた…。
冨永1人だけカジュアル。
それは 屈辱に似た気分であった。
しかし→
ショーの翌日→
新聞各紙が取り上げたラルフローレンの記事には→
冨永の写真が多く使われた。
彗星のごとく現れた…。
そして なんと…。
パリコレの衣装を着て…。
…された この写真は→
伝説のカメラマンアニー・リーボヴィッツが撮影し→
冨永が トップモデルの仲間入りを果たした証しとなった。
華々しいパリコレデビュー。
しかも ワンランク上の
オートクチュールという→
トップモデルしか立てない舞台。
しかし…。
実際の映像がある。
それは ショーの終盤フィナーレのとき。
冨永は…。
一瞬の…。
ささいな つまずきも
許されないステージ。
失敗したモデルが→
翌年 同じブランドから呼ばれることは ないに等しい。
案の定…。
…という現実。
もがき苦しむ…。
した冨永は…。
翌年の
パリコレでは→
16ものブランドのショーを→
オーディションで勝ち取った。
そして 22歳で→
世界中の一流デザイナーから指名される→
スーパーモデルの
仲間入りを果たし→
23歳で…。
子育てとモデルを両立しながら→
28歳で
自らコレクションモデルを引退するまで→
トップモデルの地位を
守り続けたのだ。
そんな 世界を魅了してきた
冨永 愛が→
学院生たちに 直々に…。
(レスリー)ずっと。
レディー?
(レスリー)ステイ キープ ゴーイング。
ナイス グッド ステイ
ナイス ステイ。
いいよ グッド。