たら、
来年にもこういうことばが、
北方領土ということばがなくなってしまうかもしれない。
日本にとっての未来というのは明
るい未来なのか、あるいはそうで
ないのかというようなことをきょ
う、
解説したいんですけれども、私も
きょう、
大阪で行われた記念の式典、これ、
2月7日にはもう全国でこの北方領土を返せという式典が行われて
いるんですけれども、VTRにも
ありましたように、
安倍総理がこれまで固有の領土で
すとか、
あるいは不法占拠されているとい
うような単語を使っていたのを、
急にことし使わなくなったりとい
うことがあるんですけれども、
実は大阪の式典では、
不法占拠というふうなことばは来賓の方からやっぱり出たりしてる
んですね。ですから、
政治の急激な変化に日本全国、
国民の意識がまだまだついていけ
てないというのが、
きょうの北方領土の日だと思うん
ですね。
じゃあ、そもそも北方領土の日、
なぜ2月7日なのかというところからひもといていきたいと思いま
す。
非常におもしろい歴史が見えてくるんですね。
まず、この今から164年前のま
だ江戸時代、
1855年の2月7日がこの北方
領土の日の期限になるんですけど
も、何かと言うと、
日本とロシアが初めてこの国境線を引いた日がこの北方領土の日。
この択捉島とウルップ島という所
に線を引いたんですね。
これは国境に初めてなりました、
当時のロシアと江戸時代の日本で
す。
当時は合意の上で、非常に円満で、
これからの未来、
一緒にやっていきましょうというふうなことだったんですけれども、
この2つの国は、その後、
いろんなう余曲折をたどることになります。
まずは日露戦争、
1904年なんですけども、
日露戦争が起きて、日本はロシア
に、この戦争で勝ちました。
翌年、
結ばれたこの条約で、
日本は当時のロシア領だった樺太
の南半分を自分の支配下に置くわ
けなんですね。
そして、千島列島も含めて、
非常にこの広大な地域を日本の領
土とするということ。
ロシアからすればこの領土を奪わ
れたと、
取られたということで、
いつか取り返してやろうというふうに思っていたのかもしれません。
そのあと、
次の戦争が起きます。
第2次世界大戦、1945年です
けれども、
このときにロシアは逆に日本に攻
め込んできます。
そこでこの南樺太、とられた所を
まずは取り返そうということ。
そして取り返したうえに、千島列
島、
それから今の北方四島を自分の支
配下に置くわけですね。
ただこのとき、
このときは日本と、
当時ソ連は、中立条約を結んでい
ましたので、
本当は日本は攻められることはな
いはずだったんですけど、
それを一方的に破棄をした。
だから特にこの北方四島については、
昔から日本の領土であり続けるし、
ずっと不法占拠が今日まで続いている。
だから返せというのが日本の主張、
70年以上、
同じ主張を繰り返してきたわけな
んですけど。
>>そこでちょっと、そのときす
ごく大事なのは、
日付なんですよね。これ、
選挙したのは8月の後半なんですよね。
>>
>>8月の28日。
>>私たち、終戦の日、8月15
日ですよね。ポツダム宣言はもう
すでに受諾されていたんですね。
そのあとになってからやって来た
んです。