客の反応は上々だった。
ごちそうさまです!
また お待ちしてます。
しかし…。
義理堅い天野。
すぐに 両羽にわびを入れた。
熱を加えることで うまみや香ばしさをもっと増すことができないか。
天野は また試作に打ち込み始めた。
♪♪~
試行錯誤を重ねること 2週間。
あるアイデアに たどりついた。
氷の中で熟成させていたサワラ。
その皮目に炭火で焼き目をつけ→
同時に20秒ほど蒸し焼きし 熱を加える。
(女性)へぇ… 頂いてみます。
香ばしさと うまみが 口いっぱい広がる。
両羽のサワラ その真価を引き出した すしを客に届けた。
♪♪~
年の瀬。
天野さんは 恩人のもとへ挨拶に向かった。
森田順夫さん。
先代である父の一番弟子であり
天野さんの大先輩だ。
当時 住み込みで働いていた森田さん。
小さい頃から天野さんを実の弟のように かわいがってくれた。
父と森田さんに憧れ
すし職人となった天野さん。
でも 若い時は…。
すし一筋の人生。
だが 唯一無二のすしを握るに至るまで→
迷い 苦しんだ時代があった。
父 時夫さんは
地元で誰もが知る名すし職人だった。
女性と子どもが来やすいようにと→
店に酒を置かないと決めたのも 時夫さん。
創意工夫を凝らしたすしに客は目を輝かせ
いつも大繁盛だった。
物心ついた時から 夢はすし職人。
19歳 天野さんは外に修業に出ることなく店で働き始めた。
下働きは苦ではなかったが 遊びたい盛り。
時に仕事を抜け出して友達と出歩いた。
だが 5年たった ある日。
父が倒れた。
急遽 天野さんに握りが任された。
初めての客は 常連客だった。
当時は1人前 7貫。
だが その客は3貫食べると席を立った。
悔しくて 修業の初歩に立ち返り→
おからと こんにゃくで握りの練習を重ねた。
1か月後 再び その客が来た。
今度は4貫。
半年が過ぎた。
ついに7貫 食べてくれた。
初めて 客という存在のありがたさが
身にしみた。
がむしゃらに腕を磨いて 47歳。
父が亡くなった。
「自分の店を構えて
やりたいことを やってみろ」。
それが 最後の言葉だった。
天野さんは独立。
だが どこかで父の客が来てくれると
たかをくくっていた。
でも 現実は違った。
予約の電話が全く鳴らない日が続いた。
仕入れた新鮮な食材を何回も無駄にした。
出費だけが かさみ銀行に融資を度々 頼み込んだ。
お客に来てもらうために
自分ができることは何か。
天野さんは考えた。
正統な江戸前ずしの修業をしていない自分。
そこに 逆に活路があるのではないか。
もともと創意工夫に たけていた父のアイデアも生かしながら→
より 自由な発想で すしを考えた。
漬けマグロを 一から考え→
あの マグロだしを加えた
漬けじょうゆに たどりついた。
ジャンルを超えた料理人からも
アイデアをもらい→
素材に新たな工夫を加えた。
♪♪~
自分を育て 見守ってくれる
お客たちのために 一歩でも前に。
天野さんは 今日も歩む。
2018年 師走。
天野は 一年の締めくくりとなる→
ある大切なすしの試作に取りかかっていた。
どうした? なんかあった?
それは サバずし。
父の代から 毎年大晦日→
地元客に感謝を込めて持ち帰り用に売り出す。
(操作音)
サバは 脂ののり具合によって塩の入り方が違う。
塩をして何分置くか 見極めが大事だ。
天野は このサバずしに例年以上に特別な思いがあった。
実は天野は おととし 病を患った。
ものが二重に見え 視界が定まらない病。
5か月間 店を休業せざるをえなかった。
サバずしを作るのは 2年ぶりだ。
1日寝かせたサバずしを 試食する。