あえて
今何時ですか?みたいな返しで
ちょっと多めにもらうとか逆に少なめに返したとか
2人だけの崇高なやり取りとか
ありそうですね。
美保≫バンダナを
色が落ちやすいものに
しておいたとか。
阿部≫いたずらじゃないですか…。
志の輔≫そんなことしてたら
私、今ここにいないですよ。
♪~(コーナー音)
志の輔≫よく浮かぶね「時そば」と同じコトを
仕掛けてみたとか
バンダナの色が落ちるとか
よくそんなこと思いつくね!
船越≫この音が鳴りましたので船越のクエスチョン5!
お弟子さんに学んだことがある。
イエス。
これは
どんなことだったんでしょうか。
志の輔≫3番目の弟子で
志の春っていう弟子が
いるんですけど
これは英語がものすごく堪能でして
イェール大学を出ているんです。
ブッシュ大統領と
同じところを出ているのが
本人の自慢らしいんですけどそこから商社に入ったんです。
それで私のところに来たんですよ。
とにかく英語がものすごくできるんです。
その分、少し日本語が
不自由かといえば不自由ですけど
英語はうまいんですよ。
それで、シンガポールで彼が落語をやったらしいんです。
そうしたら、師匠
やりましたあと
楽屋に、世界中の
ピン芸のパフォーマンスも含めて
世界中の芸人が集まっている
フェスティバルだったんですけど
全員が私のところを訪ねてきて
お前の芸は不思議だって言われたんです、師匠と。
何が不思議だと
言われたんだと言ったら
なぜ、あなたは会話だけで
物を進めることが
できるんですかと
言われたんだそうです。
簡単に言うと。
つまり、アメリカに限らず西洋のスタンドアップコメディーとかは
全部説明が間にある。
僕がうちへ帰ったそしたらおふくろが出てきたんだ。
なんて言ったと思う?
遅かったじゃないと言うから俺は子どもじゃないって
そう言ったんだよ。
そうしたらおふくろは誰のおかげで
大きくなったのよって
こんなこと言うんだよ。
みんな信じられるかい?
みたいなことを
やるじゃないですか。
全部、会話と説明を
つないでいって1つのトークの
パフォーマンスになってる。
ところが、こんにちは。
こっちへお入り。
どうしたんだい?
なんてことはないんですよ。
なんにもないのに来たのかい?
なんかあったら来ませんよ。何しに来た?はっきり言いなよ。
実は…っていう
一切、なんの説明もなく。
あんた
おかしいんじゃないのかって
みんなが楽屋に来ました。
不思議な芸だねって
言われたという
シンガポールの体験談を
その弟子が話してくれて
なるほど、逆に僕らは
当たり前だと思ってるけど
間がない、会話劇。
美保≫何十人も出てくるしね。
志の輔≫どれだけ出てこようが
説明がほとんど皆無という。
世界にない芸なんだって
改めて弟子が体験したのを
聞かせてもらって
よく報告してくれた
ありがとうなっていう。
それを僕がよそで、いろいろ
言わせてもらってるんです。
船越≫落語に対して
そういう感想って
思えば持ったことないですよね。
当たり前のことのように
受け取っていますが。
ヒデ≫長屋が浮かんだりとかね。
志の輔≫後ろが長屋という