2019/02/16(土) 19:00〜19:45 地球ドラマチック「古代エジプト 王女の墓の謎」[二][字]


1922年に発見されました。
発掘したのは イギリスの考古学者

ハワード・カーターです。
ツタンカーメンの財宝に
世界は驚がくしました。
古代のファラオの埋葬が
いかに豪華であったかを示す→
前代未聞の証拠だったからです。
(サリーマ・イクラム)カーターたちがツタンカーメンの墓に入ると→
中の状態は
ほぼ埋葬された時のままでした。
まさに歴史の一瞬をとどめた
タイムカプセルといえるでしょう。
ツタンカーメンの墓は→
考古学者たちの長年の疑問に答えるヒントともなりました。
なぜ 新王国時代のファラオは
亡骸を地下深くに埋葬し→
かつての支配者たちのようにピラミッドを
造らなかったのか? という疑問です。
伝統的にファラオは多くの副葬品と共に→


巨大な建造物ピラミッドに埋葬されました。→
それは当然 非常に目立ちます。
(エイダン・ドドソン)ピラミッドの中に何があるかは 誰でも知っています。
まるで 「ここに財宝があるぞ」と
泥棒に教えるようなものです。
つまり 王家の谷は 墓荒らしを防ぐために
設けられた場所だったのです。
王家の谷の標準的な墓は→
何本かの通廊で各部屋が結ばれ→
さらに ひつぎを埋葬した地下室に
つながっています。
(サリーマ・イクラム)
死者が 永遠の安らぎを得られるように→
人に知られず
外からも見えない場所が必要でした。
しかし 調査チームが→
竪穴を塞ぐ石を取り除いて進んだ時→
目にしたのは 予想もしないものでした。
奥には 1人ではなく2人の人物の亡骸があったのです。
新たな発見は 古代エジプトの
激動の時代を知る手がかりとなりました。
それは 数々の冒とく行為と騒乱
そして 革命に彩られた時代です。
今から およそ 3,500年前
ツタンカーメンの墓と同じ時代に→
KV64の墓も出来たと考えられています。
古代エジプトが繁栄を極めた新王国時代の初期→
第18王朝と呼ばれる時代でした。
ツタンカーメンの墓は→
第18王朝のファラオが

いかに裕福であったかを示しています。
では KV64に埋葬された人物は
どうだったのでしょうか?
竪穴の奥には 息をのむような財宝が
詰め込まれていたのでしょうか?
調査チームが竪穴の奥に見たのは→
ツタンカーメンの墓と全く異なる光景でした。
王家の谷に いくつもある
色鮮やかな埋葬用の部屋ではなく→
粗く削った壁だけの部屋です。
黄金の副葬品があるべき場所には簡素な ひつぎが たった1つ。
しかも ひつぎは 奇妙なことに
墓とは全く別の時代の物でした。
調査している一帯は 第18王朝の時代に
使われたと考えていました。
でも ひつぎだけは
明らかに時代が違ったんです。
KV64が造られたのは
紀元前1400年ごろです。
しかし ひつぎは デザインから見て
500年ほど あとのものでした。
墓の奥を調べると
謎は さらに深まりました。
ひつぎが横たわる がれきの中に→
墓が出来たのと ほぼ同じ時代の遺物が混ざっていたのです。
がれきの層は 厚さが一定ではなく→
この辺りから次第に低くなりこの辺で 水平になっていました。
さらに 衝撃的な発見がありました。
がれきの下からもう1つミイラが見つかったのです。
亡骸の年代は

墓が造られたのと同時期で→
むき出しのまま
バラバラになっていました。
がれきの層は
墓が完成したあとに出来たものです。
最初に墓を造った時には
ありませんでした。
つまり 最初に埋葬された人物の亡骸を
覆い隠すために→
大量の がれきが使われたということです。
1つの墓に2つのミイラ。
さらに ひつぎは 500年あとのもの。
究極のミステリーです。
2つの亡骸は どちらも地下に封印され
3,000年の時を過ごしました。
この2人は 一体 何者なのでしょうか?
部屋の大きさはおよそ 縦横4メートル 高さ2メートル。
王家の谷の墓としては
最も小さなタイプです。
KV64は 垂直型の入り口と