広がっていったのか。
専門家の協力を得て 実験しました。
海に流れていた重油。
実は そのままでは
火がつくことはありません。
海水に注いだ重油に
バーナーの火を近づけます。
バーナーを離した途端
炎は消えてしまいます。
ところが 木材などのガレキが加わると
状況は一変します。
着火。
瞬く間に 燃え始めました。
木が ろうそくの芯のような役割を果たし
燃えるのです。
更に 海上で火が燃え広がるメカニズムも
明らかになりました。
2か所に浮かべた木の一方にだけ
火をつけます。
木が激しく燃えると
周りの重油の温度が上がり→
液面が燃え始めます。
次第に 燃える範囲が広がり→
離れた所にある木にも 燃え移りました。
海の上で拡大した津波火災。
そのメカニズムが 今回の実験で
初めて明らかになりました。
夜が更けるにつれて
海上の火災は 更に拡大していきました。
点々と見える光は
海に浮かぶ炎です。
湾の形が分かるほどに
覆い尽くしています。
火の海をさまよう 村上さんの船です。
船は 岩場に衝突しながら漂流し続けていました。
ぶつかった衝撃で 村上さんは転倒し→
肋骨を折る大ケガをしていました。
(爆発音)
周りの船が火に包まれ爆発する音が響いていました。
ついに 村上さんの船にも火が移ります。
外側の塗装が燃え始めました。
船には 煙が充満。
村上さんは 甲板に身を伏せながら→
助かるすべはないか
必死で考えていました。
地震から一夜明けた気仙沼です。
市街地はまだ燃え続けていました。
海上で燃えたガレキが 岸に押し寄せ
山火事も発生していました。
港の外れを撮影した映像に
座礁した船が映っていました。
村上さんの船です。
焼け落ちる寸前に火の海を外れ岸に乗り上げていたのです。
痛みに耐え 村上さんは脱出しました。
想像を絶する津波火災の中を→
16時間 流され続けた末の生還でした。
気仙沼市で全ての火災が鎮火したのは→
地震発生から2週間後のことでした。
津波で流された さまざまなものを焼き尽くす津波火災。
人々を何度も追い詰めていく→
巨大津波の新たな脅威が見えてきました。
これまで 繰り返し
津波に襲われてきた東北の沿岸。
過去の教訓を生かし
備えを積み重ねてきたはずでした。
しかし 巨大津波は→
万全と思われた防災対策の隙を容赦なく ついてきたのです。
(御詠歌)
およそ180人が犠牲となった岩手県宮古市 田老地区です。
先月 町を囲む防潮堤の上で→
亡くなった人たちを弔う慰霊祭が営まれました。
過去に 度々 津波の被害を
受けてきた田老地区では→
世界でも類のない対策が
とられてきました。
半世紀の歳月をかけて完成した防潮堤。
高さ10m 長さは合わせて2.4kmに及ぶ2重の防潮堤です。
いち早く避難するための工夫も
施されています。
周りの高台の30か所に
避難場所を設置。
そこへ 最短距離で逃げられるよう→
一直線の避難道路を整備しました。
しかも 交差点は
曲がりやすいように角を落としています。
田老地区は どこにいても→
およそ10分で避難できる町となっていたのです。
8年前 津波防災の町を宣言。
高くそびえる防潮堤は 町の象徴でした。
しかし 巨大津波は 鉄壁の守りを突破し→
町に壊滅的な被害を与えたのです。
あの日 津波は 防潮堤を
どう乗り越えていったのか。
専門家が映像や現地での調査などを基に
分析しました。
その結果です。
地震から30分後。
高さ5mの津波が
田老に到達しました。
海側の防潮堤が食い止め