2019/02/17(日) 13:50〜15:00 あの日 あのとき あの番組▽シリーズ平成 巨大津波の脅威〜東日本大震災から8年[字]


この地域で作っているわけです。
災害に対して 事前予防 また
さまざまな取り組みというのは 必要です。
しかし
全てが万能ではないということです。
今後も 災害の姿が変わったり
我々の生活様式といいましょうか→
住み方 考え方が変わりますと
影響のしかたも変わるんですね。
ですので 例えば 田老の例で→
防潮堤が すばらしいものが出来た。しかし そこに過信があった。
そこを超えた時点で 避難が
遅れてしまったということがあります。
今 各地域で復旧・復興の中で

より安全な町づくりが行われていますが→
それは 全ての災害に対して
やはり 備えとしては 万能ではない。
それを超えた場合 また違うタイプで
被害が起きた場合 どうするのか。
これは 我々が 常に意識の中だったり→


また 地域で考えていかなきゃいけない内容だと思います。
いや~ 万能はないって言われると
ちょっとドキッとしますね。
もう 私たちの想像を超えるものが→
どんどん どんどん起きてることを考えると→
一応 施設が出来ているからというのは→
一つの安心材料にすぎないというくらいの思いでいないと ということ…。
やっぱり ハードの強じん化 これはもう
本当に必要だとは思うんですね。
一方で やっぱり 個人個人も
自分の命は 自分で守る。
この姿勢が とっても重要だと思いますね。
よく 防災ではね自助・共助・公助っていわれますけど→
現実は まあ 自助が7割。
「自分を守る」が。
…で 共に助け合うが2割。
いわゆる 自衛隊だったりとか消防の方とか→
警察の方とか ありますけど→
その公助の部分は 1割と。
ということは やっぱり
一人一人が強じん化策を考えて→
やっぱり いざという時に自分の命を守る。
今回も アーカイブであれだけの危機的状況の中を→
生き残った方たちの生命力
そして 負けない心。
まあ 私は 非常に学びましたね。
ですから 個人個人が そういう意味での→
防災に対するリテラシーを
上げるということ。
そして 国も自治体も→

人を守る災害対策ということをやって頂きたいなと。
しかし 振り返りますと→
この平成という時代はもう 本当に自然災害の年でしたね。
思いも寄らぬ場所で
また 思いも寄らぬ規模で続きましたよね。
僕も 人生 よく 上り坂 下り坂 まさかの
坂があるっていいますけど→
妹を いきなり亡くしてしまいまして→
「えっ こんなことが身内に起きるのか」って。
…と同時に あの3.11で多くの仲間とか→
「えっ あいつ 死んじゃったの?」というようなことを→
会話が あのころ ずっと みんなで
友達同士で交わしていましたけれども→
やはり 突然 何が起きるか分からない。
だけど やっぱり だから→
あれ以降 僕は やはり
残された命として→
残念な形でお亡くなりになった
人たちの分まで生きるというか。
やっぱり 本当に
明日は 今日の延長ではないなと。
だから まさに 一日一日
明日が当たり前と思わないで→
一日一日を一生懸命生きるっていうことを
心にいつも念じているんですけれども。
覚悟と準備 これは必要ですね。
苦しい つらい時間がありましたけれども→
それから8年を
地元の方と一緒に過ごしてこられて。
随分新しい 希望が持てるような町に

変わってましたね。
かさ上げは
本当に大変だと思いますけれども→
本当に 震災に強い町として→
これから改めてリボーンっていいますかね→
再生して頂く。
そして やっぱり 地元の人たちも→
震災に遭ったってことは
これはもう 否定できない事実ですから→
これを受け入れて→
あとは もう このふるさとを盛り上げるために頑張っていくと。
そして 随分 おしゃれなお店も
出来てきましたので。
若い方もね 随分いらしてますよね。
もうね アジアからもヨーロッパからも アメリカからも→
皆さんにも来て頂き
日本中の方にも来て頂き→
おいしいお酒もありますし
お料理もおいしいですから→
是非とも気仙沼に来て