2019/02/17(日) 21:00〜21:50 NHKスペシャル 平成史 第5回「“ノーベル賞会社員”〜科学技術立国の苦闘〜」[字]


おめでとうございます。ありがとうございます。
<私が「クローズアップ現代」で初めて→

ノーベル賞受賞者にインタビューしたのは→
2000年に化学賞を受賞した
白川英樹さんでした>
<その後 5人の受賞者に→
独創的な研究がどのようにして生まれたのか。→
何が その研究を支えたのか
インタビューをしてきました>
<一方で 平成の30年間は
日本の国際競争力が低下し→
科学技術力の土台が
大きく揺らいだ時代でもありました>
(歓声)
<私は 海外で革新的なイノベーションが次々と登場する中で→
なぜ 日本では生まれないのか→
何が欠けているのだろうかと思っていました>
<そうした中 去年 田中耕一さんが→
アルツハイマー病の早期発見につながる→
画期的な方法を開発したと


聞きました。→
私は 田中さんに ノーベル賞受賞後→
メディアに登場されなくなった16年間について 尋ねたいと思いました>
いろんな分野 いろんな仕事を
もう経験をされてきた中で→
しかし ちょっと時計の針を
16年ほど前に戻してみると→
2002年の
田中さんのノーベル賞受賞という。
あんまり思い出したくないんですが。
いろいろ騒がれたことが→
ちょっと つらかった部分も
あったということです。
思い出したくないですか。
いや~ あの まあ…→
やはり 皆さんに 何か役立つためには→
思い出したくないことも話さなければならないので。
はい どうぞ おっしゃって下さい。
恐れ入ります。ちょっと言い過ぎたと思います。
すみません。
あ~ いえいえ。はい どうぞ。
その時は どういう… 今思い出すと
どういう感慨を持たれるんでしょうか。
そうですね…。
ノーベル賞を受賞したことが つらかった。
一番
その深いところでは→
どうして 自分は 本当に→
そういう賞に値する価値を持った人間なんだろうかと。
まあ これも発明しただけなのに なぜ?

ノーベル賞受賞を→
振り返りたくないと語った田中。
もともと電気工学が専門だったが→
大学卒業後に入社した島津製作所では→
ばけ学・化学の研究を命じられた。
田中が 当時 記録していた実験ノート。
研究テーマは人体を構成する成分の一つ→
タンパク質を分析する方法の開発だった。
いくつもの分子が重なり→
複雑な構造を持つタンパク質。
分析のために レーザーを直接当てると→
バラバラに壊れてしまう。
それまで誰も測定に成功したことはなかった。
ノートには さまざまな化学薬品を使った
実験の方法が記されていた。
タンパク質を壊さないための
緩衝材を作っていたのだ。
その中に グリセリンという
薬品の名が書き留められていた。
実験開始から半年後→
緩衝材として試そうとした2つの物質に→
グリセリンを 誤って混ぜてしまったのだ。
田中は 以前の実験で→
グリセリン単体では 効果がないことを
確認していた。
この時も 期待できないと思ったものの
あえて実験してみることにした。
田中が記録した実験結果。
タンパク質を示す波形が現れていた。
誤ってグリセリンを混ぜた

緩衝材によって→
タンパク質を分析することに
初めて成功していた。
入社2年目。
化学が専門ではなかった田中が→
一つの偶然から たどりついた
発見だった。
タナカサン
オメデトウゴザイマス。
そして17年後。
タンパク質の研究を長年続けてきた2人の外国人科学者と共に→
ノーベル賞を受賞した。
しかし 田中は自問自答を続けていた。
田中は メディアを遠ざける中で→
新たな目標を掲げた。
それは タンパク質の
分析技術を進化させ→
血液1滴から 病気の早期診断を
可能にすることだった。
「人の命を救うための役に立ちたい」。