幼い頃 病気で母を亡くした田中は→
研究者としての原点に立ち返ろうと
考えたのだ。
(取材者)どうも よろしくお願いします。
島津製作所で社長を務めた服部重彦は田中の決意を聞いていた。
どうぞ よろしくお願いします。
服部は その思いを後押ししようと→
年間1億円の資金を
田中の研究に投じ続けた。
田中が最初に取り組んだのは→
さまざまな病気に関わりがあるとして注目が集まり始めていた→
糖鎖の分析だった。
糖鎖は タンパク質に連なる物質で→
がんなど 体に異常が起きると
さまざまな形に変化するといわれている。
しかし その構造は複雑で→
1,500万通り以上の組み合わせがあると考えられ→
分析は困難を極めた。
期待に応えられない焦りの中で→
田中は
周囲に決意を語らなくなっていった。
血液1滴で いろいろな病気の早期発見が
できたらいいなという→
そういう願望を
おっしゃっていましたので…。
本当に私が言ったんでしょうか。
そうなんですか?
自分が もしかしたら
言っていたかもしれないことを…
田中が会社の後押しを受け
試行錯誤を続けていた頃→
日本の研究者たちに 大きな変化が訪れる。
2001年。
国は 科学技術基本計画を発表。
科学の世界に競争原理を導入し政策を大きく転換させたのだ。
選ばれた研究にだけ 資金を集中する
競争的資金を拡充。
研究者同士を
競争環境に置くことで→
科学技術力を強化することが
ねらいだった。
当時 国の科学技術予算の
9割を占めていたのが→
基盤的経費と呼ばれるものだった。
国から一律に交付されるもので→
大学は それを
人件費に充てていた。
この経費によって→
研究者の安定的な雇用が可能になっていた。
この基盤的経費には 手をつけず→
別途 競争的資金を増やすのが当初の計画だった。
しかし この2年後に 国立大学の法人化が
決定したことによって 事態が一変する。
財務省が 突然
研究者の人件費に充てられていた→
基盤的経費の削減を打ち出したのだ。
財務省の担当者が 匿名を条件にその理由を証言した。
「2年前の科学技術基本計画は
参照はしたが拘束力はない」。
「競争的資金を増やしているので
科学技術予算 総額は減らしていない」。
国は 成果が期待される研究に→
短期集中的に投資する競争的資金を増やした。
それに対し 基盤的経費は
毎年1%ずつ減らされた。
これまでに1,400億円が削減。
この間 教授や准教授をはじめ→
正規雇用の研究職のポストが
減らされていった。
文部科学大臣を務めた遠山敦子。
競争原理の導入は時代のすう勢だとしても→
慎重な議論が必要だったと振り返る。
どうも ありがとうございます。こんにちは。今日は お時間頂きまして。
<国の科学技術政策は→
イノベーションを生み出す土台を揺るがしているとの声がある中で→
私は 去年
ノーベル医学・生理学賞を受賞した→
本庶 佑さんに話を伺いたいと思いました>
<記者会見などで 若い研究者が置かれている現状に→
繰り返し警鐘を鳴らしていた姿が
印象的だったからです>
<博士の多くが 大学の教員になれず→
1年契約の研究員という身分に甘んじています>
<私は 2007年に放送した番組の中で→
若手研究者の厳しい状況を伝えました。→
博士課程を修了しても 就職先はなく
大学にも正規のポストがない→
いわゆる ポスドクの問題。→
若手研究者に活躍する場を与えなくなってきた社会に→
強い危機感を持ちました>
<今 状況は更に悪化し→
将来への不安から 大学院に進む
理科系の学生も減っています>
若い研究者が どうやって伸び伸びと→
今 こうした 大学の置かれている運営費交付金などが下がっている状況で→
伸び伸びと研究できるようになるのか
という部分ですけれども→
ここは
どうしていったら いいんでしょうね。
今の制度ですと