2019/02/17(日) 21:00〜21:50 NHKスペシャル 平成史 第5回「“ノーベル賞会社員”〜科学技術立国の苦闘〜」[字]
学位を取ると 30前になります。
そこから
いわゆる ポスドクという→
これは
まあ トレーニング期間ですが→
これが 普通3年とか5年。
そうすると 30半ばになりますね。
<本庶さんをはじめ 私がインタビューした
ノーベル賞受賞者の多くは→
若手研究者だった昭和の時代の
自由な研究環境が→
その後の成果に つながったと
語っていました>
<競争的資金が増える中→
短期的な成果を求める傾向が強まった科学技術政策>
<ほかの研究者に引用される→
質の高い論文数の国際比較。→
日本は この10年で→
4位から9位にまで順位を落としています>
競争力強化 一辺倒に
なりすぎていないだろうか。
研究力を高めるために
競争させてきたというやり方が→
どんな影響を
もたらしてきたんだろうか→
むしろ 弱体化に つながってないだろうか
ということについては→
どう見ていらっしゃいますか。
国が 科学技術政策を転換させた時代→
企業の多くも 業績不振から
研究所の閉鎖に踏み切っていた。
そうした中 田中は 会社から資金を得て
研究を続けることができた。
しかし 血液1滴から
病気を早期診断するという目標は→
5年を経ても 実現できずにいた。
研究を共にしてきた 岩本慎一。
苦悩する田中の姿を記憶している。
そういうことをしたいんだということに対してね 反応される方…
そういったことに関しては やはり…
田中に転機が訪れたのは→
ノーベル賞受賞から7年が経った
2009年。
競争的資金の拡充を掲げる
国のプロジェクトに→
田中の研究が選ばれたのだ。
iPS細胞を作製した山中伸弥をはじめ→
名だたる研究者が
名を連ねたプロジェクト。
5年の期限で 田中に投じられた
競争的資金は 1年あたり7億円。
更なる重圧が
のしかかることにもなった。
田中は 企業の外に活路を求めた。
国内外の研究機関に 自ら足を運び助言を求めたのだ。
更に 若い研究者の発表にも耳を傾け
埋もれた才能を発掘しようとした。
そういうところで発表してる…
田中は 新たに作った人脈から→
大学での研究を断念せざるをえなかった
20人余りの若者を雇用した。
そして 糖鎖の研究のほか
がんや認知症に関わりのある→
さまざまなタンパク質の分析に
挑んでいった。
金子直樹も その一人だった。
当時 3年の任期で雇用された金子。
田中から アルツハイマー病に関する
タンパク質の研究を命じられた。
そのタンパク質は
アミロイドβと呼ばれる。
アルツハイマー病は
それが脳内に蓄積し→
神経細胞を傷つけることで
発症するといわれている。
金子は 血液中のアミロイドβを
分析することに→
研究者生命をかけたという。
しかし 金子の実験は 困難を極めた。
1万種類以上のタンパク質が
含まれているという血液。
その中に ごく僅かしかない
アミロイドβだけを抽出するのは→
ほぼ不可能といわれていた。
金子が試みたのは それを可能にする特殊な溶液を作り出すことだった。
50種類ほどの化学物質を
幾通りにも組み合わせ→
アミロイドβとの相性を
試していった。
その組み合わせは
数万通りにも上るという。
失敗を繰り返しながら
それでも金子は→
多い時には 一日130回の実験を続けた。
そして 実験開始から2年が経った2013年。
金子は ついに
アミロイドβの抽出に成功した。
しかし 金子の実験結果には
田中にも分からない副産物があった。
アミロイドβとは別に→