一番下っ端からのスタート。
与えられるのは ちょい役ばかり。
セリフは ひと言あるかないか。
出演料は 舞台1回につき1,250円。
アルバイトなしでは 生きていけない。
心は ポッキポキのポッキポキ。
この 先の見えない地獄はいつまで続くのか。
蜘蛛の糸を探し求めるように
出番のない日も劇場に通い→
先輩の芸に目を凝らした。
新喜劇に入って9か月が過ぎたある日。思ってもみないことが 起きた。
1人の先輩が そう言ってくれた。
この時 小籔さんの初期の代名詞ともいえる→
ギャグが誕生した。
俺はな 今まで数々悪いことやってきとんねや。
お前 知らんやろが こら。
殺人 強盗 恐喝 窃盗 詐欺婦女暴行 密輸 放火 誘拐→
以外は やってきとんねや。
以外かい!(笑い)
寝んな!
(笑い)
次々と 面白い役を任された。
32歳 当時最年少で座長に就任。
ズボン ぱってはいたら
半ズボンやったんすよ。
37歳 卓越した話術が人気を集め
東京に進出。
でも ある人は言った。
「座長を務めながら東京で成功した者はいない」。
「もう新喜劇は辞めて テレビ1本で稼げ」。
けれど小籔さんは かたくなに拒んだ。
俺らに文句つけたら いてまうからな!
あのね…。
どれだけ売れても
軸足は あくまで新喜劇。
恩返しの日々は 終わることはない。
電話の相手は 新喜劇一のベテラン。
駆け出しの頃から目をかけてくれた恩人。
体調不良で 休演が続いていた。
1か月後 小籔さんが毎年開催している
音楽フェス。
♪♪~
つま先やめろ! アゴやめろ!ワキやめろ! ドリルせんのか~い!
新喜劇のファンを 1人でも増やしたい。
これも一つの 小籔さんの恩返し。
その舞台裏に 桑原さんの姿があった。
どなたですか。公園の掃除をしている桑原和子が→
ただ今 お鉢を持って
こちらへ やってまいりました。
ちょんちょん ちょんちょん… あ~→
見ないで!見たないねん!
≪はよ しもて下さい。
≪もう ええの?
≪おいおい! 挟むな。
そんなとこ挟んだら痛いでしょ。
また。
何や! それ。(笑い)
おい お前 はよこい! 藍五郎!
日本一の観客動員数を誇る新喜劇。
その座長 小籔千豊。
(笑い)
あなたですよ。
過去最高の来場者数を記録するなど劇団は今 絶好調。
だが小籔は
大いなる危機感を抱いていた。
今の人気にあぐらをかけば
遠からず 痛い目に遭う。
これまでにない笑いの型を
どう生み出すか。
ビビり座長の 恩返し。
それは 夏の暑い盛り。
2か月に及ぶ交渉の末
小籔が 台本作りの取材を受け入れた。
作るのは
3か月後に上演する舞台の台本。
他の座長は 構成作家の書いた
プロットをもとに話を膨らます。
だが 小籔はそれを良しとしない。
新たな笑いの型は 人任せにして生まれるものではないと考える。
この日 名案は浮かばなかった。
次の台本打ち合わせは 4日後。 夜10時。
脳みそに釣り糸を垂らすように
アイデアを探る。
設定としては新しいが どれも見かけ倒し。
60年の伝統は 甘くない。
残り1か月となっても
台本作りは 少しも進んでいなかった。
(小籔)ほとんどの人が楽しくなく
仕事してるんじゃないかなと→
僕 思うんですけどね。
♪♪~
季節はいつしか 秋。
公演を終えた小籔が疲れた脳みそで 語り出した。
何より熱っぽく語ったのは
これまでにない 笑いの型。
千豊 ええかげんにせえ! お前は!
シャラップ ミラーボール。誰がミラーボールじゃ。
新喜劇は ボケとツッコミが
明確に分かれているのが常。
芝居の途中で役割が変わっていくのは