手術の前に 30グレイを受けた。
そして手術後
更に 20グレイの放射線が照射された。
合計 50グレイだ。
そしてA病院に移り→
再び受けた放射線治療は
23.4グレイ。
合計すると 73.4グレイ。
脳細胞が壊死するリスクが出てくる基準値→
60グレイを超えていた。
なぜ このようなことが起きたのか。
これは 名大病院がA病院に提出した
紹介状。
そこには 手術前に受けた放射線
30グレイは示されていたが→
手術後に受けた
20グレイについての記述がなかった。
そしてA病院は
妻 久子さんらの申し出にもかかわらず→
名大病院に再確認することなく
放射線治療を開始してしまったのだ。
しかし なぜ名大病院は
30グレイという→
手術前に受けた放射線しか
記入していなかったのか?
長尾は 当時の主治医に
聞き取りを行うことにした。
今回の件には 複雑化した現代医療が
抱える課題が潜んでいると 考えていた。
主治医に
1時間余り聞き取りを行ったが→
記憶は曖昧になっており
原因の解明には至らなかった。
病院に戻った長尾は
当時の記録を調べ直した。
脳神経外科のカルテには
詳細な照射結果の報告はない。
一方 放射線科のカルテには→
手術後に受けた20グレイの記録が確かにあった。
長尾たちはA病院の担当者と協議。
今後 協力してミスの原因を究明することを確認した。
大屋さんは 名大病院で
認知機能や運動能力の変化をチェックし→
最善の治療を行うことになった。
そして長尾は院内での再発防止策を探り始めた。
訪ねたのは 放射線科。
電子カルテになった今→
放射線科では スクロールすれば
過去の照射歴と合計線量が一覧できる。
ただ 他の科の医師は→
この一覧を容易に見ることができないシステムになっていた。
医療安全に終わりは決してない。
長尾は 追究し続ける。
長尾さんは 1969年
岐阜県土岐市で生まれた。
焼き物の盛んな町。 粉じんを吸い込み
肺を悪くする職人たちが多かった。
そうした人たちを助けたいと
医学部を卒業後→
長尾さんは
名大病院の呼吸器内科へ進む。
長尾さんが現場で 患者を治療し始めた頃。
全国で衝撃的な事故が相次いだ。
心臓手術の患者と
肺の手術の患者を→
取り違えてしまった事故。
リウマチの患者に誤って消毒液を投与し→
死亡させてしまった事故。
実は長尾さんにも 患者の処置中誤って出血させるなどし→
肝を冷やした経験が幾度かあった。
また現場で重大な医療ミスを目の当たりにしたこともあった。
そうした場面に直面する度に
ある複雑な気持ちを抱えてきたという。
そして 長尾さんが勤める名大病院でも
重大な医療事故が起こる。
腹くう鏡の手術で
操作ミスのために多量の出血→
患者が死亡した。
会見で院長が語った事故調査へ臨む姿勢に→
長尾さんは うなずいた。
「逃げない 隠さない ごまかさない」。
そのころ 名大病院では→
「医療安全管理部」という新たな部署をつくることになった。
長尾さんはリポートを提出。
国民の信頼を取り戻し文化として医療安全を根づかせたい→
という思いを記した。
だが 長尾さんの属する呼吸器内科が異動に反対。
長尾さんが新設された部署に
移ることはなかった。
しかし 2年後。
当時 深刻な医療事故に苦悩していた京大病院から連絡が入った。
医療安全に関心がある長尾さんの存在を
知った病院の幹部が→
専門の医師として迎えたいと
声をかけてくれた。
自分の考えを認めてくれる存在が
ありがたかった。
長尾さんは 医療安全専門の医師という
新たな道に進むことを決意した。
着任して間もなくのことだった。