ひいおばあさんの葬儀。
依頼していた納棺師の代わりに
急きょ 父が納棺を行うことになった。
父の手の中で 穏やかな表情を
取り戻していく曽祖母と→
送る人たちの晴れやかな顔。
子ども心に この仕事を継ぎたいと思った。
木村さんは 大学を卒業し
納棺師の会社に就職した。
だが 待っていたのは厳しい現実。
世間の 遺体に触れる仕事に対する拭いがたい差別と偏見だった。
努めて意識しないようにしたものの→
その言葉は 次第に自分の中で大きくなっていった。
更に追い打ちをかけたのが→
葬儀会社の下請けとして駆けずり回る日々。
一日に何件も 昼も夜もなく駆り出され→
決められた時間の中で流れ作業のように 遺体を棺に納めた。
そんな日々が3年続いた日のこと。
ある仕事が入った。
50代で自ら命を絶った男性の納棺。
自宅へ向かうと→
妻と娘の2人が 枕元で泣きながら
亡き父に寄り添っていた。
遺体は ひどく損傷し
特別な処置を施す必要があったうえ→
次の現場が迫っていた。
木村さんは すがる家族の間に割って入り処置を行うと 強引に棺に納めた。
そして 逃げるように その場を後にした。
木村さんは その時の親子の表情を忘れることができなかった。
妻と2人の娘は 亡き父と どんな最後の
時間を共にしたいと思っていたのか。
二度と取り戻すことのできない時を
自分が奪ってしまった。
木村さんは会社をやめ
自分が思い描く納棺を行うため→
納棺師が葬送の全てに関わる会社を
立ち上げた。
ある日 一件の依頼が届いた。
父の納棺をしてほしいという男性。
火葬場に空きがなく 3日もの間
自宅に安置しなければならないという。
木村さんは毎日 その枕元に通い
繰り返し 化粧を施した。
すると これまでにない感情が
わき起こってきた。
3日間かけて送り終えると
家族は 晴れやかな表情を見せてくれた。
木村さんは 決めた。
時間をかけ 残された遺族と対話し亡き人のことを知る。
そして 最後の時を 共に歩む。
6年前 木村さんは納棺師を育てる学校を設立した。
仕事への偏見を耳にすれば
今も心がざわつくことはある。
それでも この仕事には意味がある。
今は はっきりと そう言える。
♪♪~
…ということで 以前もこういう取材を受けたことあるのよね→
新聞に載ったのよねっていう
お話はされてました。
♪♪~
♪♪~
(木村)これ いいんじゃない。
お~ なるほど。
♪♪~
♪♪~
♪♪~
冬が終わろうとしていた。
木村は 北海道 函館に程近い
依頼者のもとを訪ねていた。
失礼します。
佐藤英明さん 38歳。
晩年 病院暮らしが長かった母を
最後は自宅で送ってあげたいと→
木村を頼ってきた。
母の美喜子さんは 英明さんがおなかにいる時に 夫を事故で亡くした。
周囲は出産を反対したが
女手一つで育てると決意し→
パートをしながら 英明さんを育て上げた。
その母に 十分に感謝の思いを伝えることができないまま→
別れの時を迎えてしまった。
英明さんの 果たせなかった思い。
木村は 葬儀に参列した人へ渡す礼状を
一から作ることにした。
通常 礼状の文章は
決まったものを使うが→
英明さんの母への気持ちを
のせたものにしたいという。
♪♪~
♪♪「こんなに空が青いのはちょっと勿体ないな」
文章を考えるさなか
木村が 曲を聴き始めた。
♪♪~
母の入院中に英明さんが何度も聴いていた曲。
病院への道中 歌詞に自分の思いを重ね
不安な気持ちを鼓舞していたという。
♪♪~
♪♪「最後はやっぱり 『ありがとう』かな」
納棺に取りかかる前。
木村がしたためた礼状を見せた。
(木村)ちょっと拾ってみたんですけど。