ちょっと知ることで→
ただ おいしいだけじゃなくて
味わいが深まる。
植野は 一人でも東京を味わえる店として
この店の掲載を決めた。
おいしさとは何か。
その一つの答えを 植野は取材先の高知県で見つけた。
高知の食文化…
土佐弁で「宴会」を意味する。
この日は 年に一度の 大おきゃく。
街全体が宴会場になり商店街のど真ん中に畳を敷き→
こたつと七輪を並べて 酒を飲む。
おきゃくの特徴は誰でも自由に参加できること。
初対面であっても
酒や料理を通して すぐに打ち解け合う。
酒や料理を介して生まれる
人と人のつながり。
そこに 食本来の楽しみがあるのではと
植野は言う。
こんばんは。
ありがとうございます。
(女性)濃いですか?
いやいや やさしい。
ある日の編集部。
編集長 植野のすごみを目の当たりにした。
名店のシェフが
秘伝のレシピを公開する人気コーナー。
読者が自宅でも
作る事ができるというのがウリだ。
しかし…。
店では真空低温調理器を使っているという。
だが それは
どの家庭にもあるとは思えない。
部下は 秘伝のレシピを
紹介することに とらわれ→
読者が作るという視点が
おろそかになっていた。
植野は記事の修正を指示した。
誰のための雑誌なのか。
考え尽くしたか。
伝える覚悟を持って記事に当たったか。
植野は問う。
それが記事に加えられた。
元気が欲しい時 足が向いてしまう
そんなお店。
植野さんにも
元気をもらえるお店があるとのこと。
せっかくなので 食レポをお願いします。
(植野)すいません 入ります。
20年以上 通い続けているという植野さん。
オススメは何ですか?
800円です。
(植野)はい。
それにしても 植野さん→
このお店の何が元気のもとなんですか?
「解放される」という言葉を
連発する植野さん。
ふだん 一体どんなプレッシャーを
抱えているというのだろう。
植野さんが出版社で働き始めたのは
27歳の時。
財テク誌で株価や税金の記事を担当する
編集者として働いていた。
その一方で 今 勤めている会社でも
フードライターをやっていた。
財テクと食 まさに
二足のわらじで記事を書いていたのだ。
ペンネームは…
…を そのまま名前にした。
そして 38歳の時
現在の編集部に転職を決める。
ところが その3年後
ある苦い経験をする。
常連さんを大切にしたいと
取材お断りの とんかつ店があった。
夫婦二人で営む その店に
植野さんは何度も通い詰め→
取材許可を取り付けた。
雑誌掲載から 1か月後の事だった。
植野さんは 近所の人に聞いて回ったが
閉店した理由は分からなかった。
雑誌の掲載自体 夫婦は喜んでくれた。
しかし 閉店してしまった。
あの時 自分に落ち度は なかったか。
あの時 一体どうすればよかったのか。
あの時の答えを 今も探し続けている。
日々 問われる 表現者としての責任。
この店で いっときの間だけ
植野さんは解放される。
不動の人気を誇る 食の専門誌。
その名物編集長 植野広生。
この春…。
植野が仕掛けた 新たな特集企画。
その特集とは…。
卵料理。
時に主役 時に引き立て役として
活躍する卵。
シンプルながらも 奥深い世界を
いかに読者に伝えるか。
雑誌作りに懸ける男の ひと月半の闘い。