母親の在宅介護です。
過去には、心中することも
考えたという男性が
今、在宅介護を
笑顔で続けられる理由とは…。
≫夕暮れ時の午後5時。
公園のジョギングコースを歩く2人の男女。
肩についている
特製ベルトをつかむのは
83歳の母。
しっかりと支えるのは66歳の息子。
≫母は6年前
突然、脳出血を起こし
その影響で
脳血管性認知症も発症。
厳しい状況が続いた。
≫みとる覚悟で始めたという在宅介護。
変わり果ててしまった母。
息子の心はすぐに追い込まれてしまう。
≫介護疲れによる親子心中。
カレンダーに印をつけ2人で死ぬ日を決めたという。
しかし
思いとどまることができ
今では笑顔で過ごせるように。
≫男の在宅介護。
≫博多から車で、およそ30分。
福岡県筑紫野市。
ここに、仕事をしながら
365日、母親の介護を続ける男性がいる。
畑山郁夫さん、66歳。
午前10時過ぎ。
仕事中の郁夫さんは
なぜか会社の2階にある自宅へ。
そして…。
≫ベッドに寝ていたのは母親の郁代さん、83歳。
≫左の手足が不自由なため
車椅子での生活を余儀なくされている。
トイレは母が使いやすいように
郁夫さんがリフォームした。
≫仕事着でもあるつなぎには
安全のため
母がつかめるよう
特製のベルトを付けた。
≫郁夫さんは
自宅で母の面倒を見ながら
その横で仕事も続けた。
会社は家族経営で車の販売と修理をしている。
≫郁夫さんは高校を途中で辞め
持病を抱えた父の分まで懸命に働き
会社を
少しずつ大きくしてきたという。
26歳のときに
美津子さんと結婚。
妻も会社を支え続けてくれた。
≫3人の子に恵まれ
息子は同じ会社で
娘2人は医者の道へ進んだ。
全てが順調だったが
6年前、生活は一変する。
それは母・郁代さんが
夫に先立たれた翌年のことだった。
≫原因は脳出血。
一命は取り留めたが病院のベッドでほぼ寝たきりに。
感情のコントロールが
利かなくなっていた。
≫郁夫さんは
自宅に母を引き取ることにした。
そのとき、医者からは…。
≫当時、母の要介護度は最も重い5。
郁夫さんは一緒の部屋に寝て
トイレの世話を続けた。
≫四六時中、母の介護生活。
当然、寝不足となり
郁夫さんは
自動車販売でミスをし
数百万円の損害を出してしまう。
みとる覚悟で始めた在宅介護だが
3か月で心身ともにボロボロに。
その状況を理解したのか母が…。
≫郁夫さんと母は心中を決意。
当時のカレンダーには死ぬ日を決めた印が。
そこには「バアと」の文字も。
≫しかし、カレンダーに気づいた娘に問われ
正気に戻った郁夫さん。
母、そして家族のためにももう一度頑張ろうと決意した。
その後
在宅介護について必死に勉強し
男性介護者の集まりにも
足を運んで情報交換もした。
苦しいのは自分だけではないと
気づいた郁夫さん。
一方、母の状態も徐々に改善。
介助があれば、歩くこともできるようになったのだ。
≫毎日行っている30分の散歩。
脳血管性認知症の場合リハビリを行うことで
ダメージを受けていない
周囲の脳細胞が
死滅した脳細胞の代わりをする
場合があるという。
郁夫さんの母の場合