1532年。 幼い長慶は命の危機に さらされていました。
これは 我ら三好の者が こえねばならぬ
試練じゃ。
天の御心にかなえば
三好は また必ず立つ。
長慶の父・三好元長は このころ→
「畿内」 京都周辺の地域で活躍する有力武将でした。
ところが 敵の大軍に囲まれ→
長慶たちを ふるさとの徳島当時の阿波へ→
逃すことにしたのです。
堅固に暮らせ。はっ。
これが 父との別れでした。
応仁の乱から およそ60年。
時代は 戦国のまっただ中。
勢力拡大のため つわものたちは戦に明け暮れていました。
長慶の父・元長が仕えていたのは
細川晴元。
細川家は 室町幕府のナンバー2
管領を務める家柄です。
元長は 晴元を細川家の当主とし→
幕府に 大きな影響力を持とうと考えていました。
ところが…。
殿。 こたびの戦の褒美それがしは さぞ頂けるのでしょうのう。
≪これ 無礼者!
晴元に仕える武将の中で最も力があった 元長でしたが→
それが あだとなります。
次第に疎まれ→
なんと 主君・晴元から 大軍を
差し向けられることになったのです。
元長が最期を迎えた
顕本寺です。
長慶を送り出した 翌日。
三好元長は この寺で重臣たちと共に自害。
晴元が差し向けた
10万もの一向一揆勢と対峙した末の→
壮絶な最期でした。
徳島県 藍住町。
阿波に逃れた長慶が
身を寄せた場所です。
父・元長
更には 多くの家臣まで失った長慶。
僅か11歳にして
家の命運を担うことになります。
逆境を乗り越えるため
長慶がとった策は…。
三好孫次郎長慶 若輩ではございますが
何とぞ よしなに…。
父・元長のことは残念であった。
そなたも変わらず 忠義を尽くしてくれ。
ははっ。
なんと 父を討った細川晴元に忠誠を誓います。
一体 なぜなのでしょうか。
三好長慶を研究する 天野忠幸さん。
長慶の再評価を進めています。
その後 長慶は晴元の忠実な部下として→
各地の戦場を渡り歩きます。
そして3年。
立派な武将に成長していました。
おお 見事 見事。
殿のご威光あればこそ→
若い それがしでも家の主でいられまする。
まこと
細川の家臣で ようございました。
まあ わしを頼っておれば
間違いはない。
この時 細川晴元の力は
将軍をしのぐほど。
その晴元に対し→
ご機嫌とりに徹する道を選んだ 長慶。
しかし ただ 耐え忍んでいただけでは
ありませんでした。
兵庫県 西宮市。
この地で 長慶は転機を迎えます。
18歳の時 実力を認められ→
一帯を治める 越水城の城主を任されたのです。
いよいよ 戦国の革命児へ変貌する時。
その最初のステップが…。
長慶が就任した越水城の城主は→
池田や伊丹など「国衆」と呼ばれる→
周囲の有力領主たちを
束ねる立場でした。
ところが…。
戦に召集しても 国衆たちは→
実績のない
長慶の命令を聞いてはくれません。
そこで…。
長慶は さまざまな能力を持つ人材の発掘に努めます。
当時 家柄ではなく→
才能や実力を評価して人を取り立てるのは→
画期的なことでした。
そして この時→
後に 側近として活躍する人物を
見いだします。
松永久秀にござりまする。
うむ。 三好譜代の者どもに負けぬよう務めに励んでくれ。
はっ。
「土豪」と呼ばれる 地域の武士にすぎなかったとされる 久秀。
持ち前の知恵を武器に→
大名や朝廷相手の交渉ごとに力を発揮します。
織田信長を てこずらせ→