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2019/06/25(火) 22:30〜23:20 プロフェッショナル 仕事の流儀▽腰痛治療いまだ進化せり〜腰痛専門医・西良浩一[解][字]


検査を受けると 福島さんの腰には4つの異なる症状があった。
その全てを治すには

大きく切開をする手術が必要だった。
長期入院は避けたかった。
日常の家事に加え92歳の母の介護が始まろうとしている。
更に会社では 課長として
経理の仕事を担っていた。
だが その際に難題となるのは
「脊柱管狭さく症」という症状への手術だ。
年をとるにつれ 腰の骨は
異常に増殖することがある。
この骨が神経を圧迫し 痛みを引き起こす。
これが脊柱管狭さく症だ。
従来
局所麻酔での脊柱管狭さく症の手術は→
患部が浅い
神経の出口付近に限られていた。
だが 西良は2年前
新たな手術法を編み出した。
新たな手術法は


今回の福島さんのように→
患部が奥に位置し
従来は不可能だったケースに有効だ。
それは 内視鏡を入れる場所を
これまで常識だったところよりも→
一つ前の隙間から入れるというもの。
理論上は可能だが最高難度の手さばきが求められる。
この部分から奥に広がっている骨が→
福島さんの神経を圧迫している真犯人だ。
(ドリルの音)
ここからが 西良の技の見せどころ。
(ドリルの音)
神経を圧迫しているこの分厚い骨を削るため→
更に奥へと ドリルを進める。
ドリルを決して奥に押さず手前に引きながら削る繊細な技。
西良は この手術法だけではなく→
削ること 20分。
これ神経。
神経が圧迫されていないことを示す拍動が起きた。
傷口は わずか8ミリ。
手術前は このように姿勢を変えようとすると 痛みが走った。
手術から3週間後。
孫と共に 念願のガーデニングをする福島さんの姿があった。
どうしても無理だった しゃがんだり
立ったりを繰り返すことが→
月に1度 西良さんは東京の
とあるクリニックを訪れる。
海外で リハビリの
一つとして生まれた…
こっから開きながら…。

足が痛い。 これはきつい。
西良さんは 自分が知らなかった分野にも
躊躇せず 飛び込む。
♪♪~
西良さんは 生まれも育ちも四国香川の高松市。
医師に憧れたのは 小6の時に読んだ
この漫画がきっかけだった。
18歳の時 徳島大学医学部に入学した。
高校時代から体操に打ち込んでいた西良さんは→
スポーツ医学をやろうと
整形外科を選んだ。
大学院を修了した 31歳の時
教授から一つの研究課題が与えられた。
スポーツなどで
子どもの腰の骨の一部が折れ→
腰椎がずれる…
この症状が どのように起こるのか→
アメリカで取り組んできてほしい
というものだった。
ここで西良さんは 驚くべき成果を上げる。
それまでの常識では腰椎と腰椎がずれる時→
間にある椎間板が変形してずれると
考えられていた。
ところが実際には→
腰椎との接触面にある「成長軟骨」でずれることが明らかになった。
医学の教科書を書き換える 発見となった。
新たなことに挑むのは 楽しい。
西良さんは 帰国後も研究にのめり込んだ。
39歳の時には 「腰椎分離症」という症状の早期診断法を確立。
これも海外の医学雑誌で発表され

世界的に認められた。
次は
臨床の現場でも新たなことをしようと→
そのころ広まり始めた
内視鏡手術にチャレンジ。
着実に力をつけ
手術の腕でも評判を集めるようになった。
「自分の腕があれば どこでも通用する」。
手術の腕を試したいと46歳の時 神奈川の大学病院に移った。
ところが。
その病院で初めて任された手術の時のことだった。
丁寧に手術した西良さんは
渾身の出来と満足した。
ところが
5時間の その手術が終わった時→
看護師長は
医療事故を疑うかのように詰め寄った。
実は その病院の出沢 明さんは
手術を ごく小さな傷で行い→
極めて短時間で終わらせる 名医だった。

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