2019/08/19(月) 13:05〜13:55 プロフェッショナル 仕事の流儀・選「我流、肉道〜精肉店店主・新保吉伸〜」[解][字]
うわ 難しいな… 難しい それは。
う~ん… こうやって→
思ってますね。
北海道 帯広までやって来た。
事前連絡は一切なしの抜き打ち。
質問攻めの相手は
シェフだけに とどまらない。
過剰なまでに腹を割ったつきあいを
相手に求める新保さん。
このスタイルに至ったのには
深い訳がある。
精肉店を営む家に生まれた新保さんは→
高校を卒業すると父の後を追い下積みを始めた。
競りでは常に サシがたっぷり のった
A5ランクの肉を→
最高値で落札する有名人。
やり手のお肉屋さんとして 30代半ばで契約業者は500軒を超えた。
だが 40歳の時
業界を揺るがす大騒動が起きた。
日本国内でも
牛への感染が確認されたことで→
苦境になるほど
常連客は店に姿を見せなくなり→
昨日まで談笑していた取引先が
前触れもなく契約を打ち切っていく。
500軒の取引先が3年でゼロになった。
自分が築き上げてきたものは何だったのか。
残ったのは 3,000万円の借金。
新保さんは再起を懸け意外な手に打って出た。
ホームページを手作りし
全国の卸業者と生産者に→
取り引きを呼びかけた。
ある日 ホームページを見たという一人の女性から→
手紙が届いた。
西川奈緒子さん。
北海道の山奥で牛を育てていた。
話だけでもと訪ねた新保さんは目の前の光景にくぎづけになった。
野生の状態で育てることで
牛のストレスを極限まで減らす→
牛本位の育て方。
広大な敷地を見回り一頭一頭を育てる手間は計り知れない。
だが 野生の草しか食べていないため
サシのある霜降りには ならない。
安値で買いたたかれ
経営は破綻寸前だった。
新保さんは 我に返った。
買い手としてこうした状況に加担してきたのは→
自分ではなかったか?
心から この牛を売りたいと思った。
だが それは いばらの道だった。
固く大味な肉はどんな処理を行っても全く売れない。
新保さんは 海外で取り組まれていた
ドライエイジングという熟成方法を学び→
肉に施した。
日本の牛に合うよう水分量の調整や菌の付き具合→
熟成させる期間など
あらゆるパターンを試した。
しかし 何度やっても結果が出ない。
1年が過ぎ 2年が過ぎた。
西川さんの牛を
3か月に1頭 買い取り続けていたが→
赤字は膨らみ 追い込まれていった。
だが 新保さんは粘った。
3年目。
不思議なことが起きた。
いつものように
熟成庫の肉を観察していた時→
ふと 草の香りを感じた。
水分を極限まで抜き 熟成させた肉。
その牛が食べてきた野草の香りが
内側から染み出してきた。
かみしめるほど
充実感が心を満たしていった。
新保さんは 店に大量に飾ってあった
賞状やトロフィーを全て捨てた。
高い肉を競り落とすことが
肉屋の仕事ではない。
託された肉の価値を最大限 引き出し
責任を持って届ける。
あの 西川さんの牛は今
出荷が追いつかないほどの人気となり→
だが 新保さんの一番の喜びは
ブランド化に成功したことではない。
気がつけば 互いに信頼しあえる
親友のような仲間ができた。
どん底を見た BSE騒動から18年。
新保さんは 本当の自信を手に入れた。
新保いわく 前代未聞のむちゃぶり。
精肉店歴 38年目にして自身初となる大仕事が舞い込んでいた。
依頼してきたのは 長年
つきあいを重ねてきた飲食店の経営者。
そのリニューアルイベントで
地域に ゆかりのある鹿肉を→
振る舞いたいという。
だが 鹿の熟成はこれまで手がけたことがない。
鹿肉との格闘が始まった。
野生の鹿は適切に処置された牛に比べ→
腐敗のスピードが圧倒的に速く
数日で酸化する。
腐敗と隣り合わせの熟成は