2019/11/26(火) 22:30〜23:20 プロフェッショナル 仕事の流儀▽弁当人生 おいしさへの情熱は冷めず〜山本千織[解][字]
どんな物を作られるのか…?
(笑い声)
♪♪~
♪♪~
(歓声)
♪♪~
♪♪~(歓声)
♪♪~
この日は 日曜。
だが山本は
翌日の弁当などの仕込みのために→
厨房に立っていた。
翌朝。 160個の弁当作りは佳境に入っていた。
この日は メインのおかずの組み合わせに
特別な注文が来ていた。
通常は 肉と魚のおかず
1つずつ組み合わせることが多い。
だが…。
肉と肉 あるいは 魚と魚の場合→
どんな組み合わせが
一番喜んでもらえるか。
直前まで考える。
弁当を詰め始めた時だった。
「肉と肉」の組み合わせの弁当に比べ→
「魚と魚」の弁当は僅かだが ボリュームが少なく感じる。
食べる人には 気付かれないくらいの差。
ここからの大きな変更は時間的にも厳しい。
だが…。
魚と魚の弁当に 更に 小さなもう一品を加えることを考え始めた。
♪♪~
カブを揚げることにした。
魚と魚の弁当に 1つずつ足していく。
見えない誰かの 確かな一食でありたい。
この日も一つ一つの弁当に心を込め→
160個を送り出した。
ありがとうございました。
失礼します。はい お願いします!
昭和37年。
山本さんは北海道南部 長万部町に→
5人きょうだいの
長女として生まれた。
父は 建設会社を営み
母も手伝っていた。
そのため山本さんは
幼い頃から→
ごはん作りなどの家事に携わった。
札幌の美大を卒業後 23歳で結婚した。
夫は料理人だった。
二人で小さな中国料理店を始めた。
ところが その1年半後のことだった。
あまりにも突然の出来事。
でも 周りが思うほど 山本さんは
落ち込んだりしなかったのだという。
これから どうやって生きていこうか。
考えた末 友人の手を借り→
連日 50種類ほどの総菜を仕込み→
定食屋さんをすることにした。
すると 次第に客は増え
いつしか地元で評判の店になった。
2年ほどで その店は閉じたが→
そのあとも いくつかの店で働きながら→
料理の腕を上げていった。
そんな中で特に山本さんの心に残った仕事があった。
それは 映画館に併設された
ある料理店での仕事。
外国映画が上映されると その国の料理を
創作メニューとして出すという試み。
例えば ベトナム映画の時は→
ベトナム風春巻き。
多種多様なメニューが次々に生まれた。
食を通して知らない国の文化に触れる楽しさ。
そして 未知の料理に挑むことが
大変だけど 痛快だった。
多忙だけど でも充実していて 楽しい。
そのことが 山本さんの心に響いた。
その後 妹が営む定食屋で働いていた時→
東京の友人から 店を開く話があるので来ないかと誘われた。
ところが東京に行ってみると
ハプニングが起こった。
お店の話が
いきなり立ち消えになってしまったのだ。
やりたい気持ちがあっても
やる場所がない もどかしさ。
そんな時 山本さんに
助けの手が差し伸べられる。
知り合いのバーのマスターが
昼間 店を使っていいという。
それが山本さんの
「弁当屋」人生の始まりとなった。
そこからは無我夢中だった。
どうすれば 冷めてもなおおいしいおかずができるのか。
どう並べれば より美しいか。
山本さんは 没頭した。
弁当の世界にかける 姉の姿。
東京に来た時 かいま見た妹は 驚いた。
弁当ならではのルール
難しさと向き合う山本さん。
多忙だったが 楽しかった。
♪♪~
「忙しくて 楽しい」。