古今亭志ん生が→
マクラの小噺として語った
「あたま山」。→
60年前の貴重な録音を
お聞き頂きましょう>
(拍手)
それが 本当に バカバカしくって…
花見時や何かになってくると…
「どうしたの?」。
(笑い声)
志ん生師匠の場合は 多分この噺が シュールすぎるので→
説明過多すぎると 絶対 すぐ
お客さん離れていくんですよ。
っていう事を 逆に考えると
志ん生師匠ぐらい→
情報量が
少ないみたいな音とかだと→
何か入っていきやすい可能性は
あるのかなと→
別の角度から ちょっと思う。
志ん生師匠「あたま山」に負けてないぐらい→
シュールですからね 存在が。
だから あのほわほわしてる中に→
ほわほわしてるの ぶつけられたら
何か 説得力は出てくんのかな。
志ん生師匠とかが そういう→
「あたまから出てきちゃった」って言ったら→
何か面白いじゃないですか。
もう 存在がというか。
想像をさしてもらうには 自分が
まず 作んないとって思う時に→
頭の中に やりながら作るに
まあ シュールすぎるというか。
本当に 僕もいつかやりたいなって
思う噺なんですけど→
う~ん 手出す気にも
まだならない… なれない。
難しいんですね。
師匠 これ寄席で どれぐらい頻度 やられるんですか?
僕はね
そんなにやってないですよ。
何年かぶりにやるんですよ。
ありがとうございます。
いやいや 何か
恩着せがましくて申し訳ない。
何か 先輩風 吹かしたみたいで
申し訳ありません。
多少 感じましたけど。
そんなつもりじゃなかった。
ここ でも みんな
やってないんですか?
いつか やりたいなとはね。
なぜ やらないんですか?
う~ん あのね やっぱ…
(笑い声)単純に。 もう技術的にも難しいし。
技術つっても 何ていうか こう…
その お客さんを引き込むっていうのは…。
この噺に 自分が 演者の方が
納得してるかというか→
この落語に対して信用してるか。
「あたま山」という噺やっても→
どうせ分かんないよ
今日のお客さんはとか。
こんな荒唐無稽な噺
笑ってくれっかね→
っていう意識で臨むと 多分
すぐ それてく気がしますね。
はあ~ 難しい!
本当に演者ならではの。
感覚的なものですけどね。
でも お芝居とかでも→
おんなじようなところ
ないですかね そういうの…。
う~ん あると思います。
あるように思います。
脚本に対してとか。
自身が信じるっていう事により説得力を持たすっていう事は→
非常にあるように
思うんですけれども。
この噺 でも 終わったあとに→
「そんな事ねえじゃん」って言われちゃったら→
それっきりですもんね。
よく 我々 言うじゃないですかやらない噺って。
何かね すごく難しいって。
バカバカしくて誰も やる気がしないみたいな。
これ どっちもあるような話で
何か ちょっと怖いんですよね。
全く それてしまって お客様に
楽しんで頂けないんじゃないか→
っていう思いがあったりして。
品のない言葉で言うと…
我々で言うんですけど。
下品だな~。
下品でしょ? 下品なんだよ。
お金だけじゃなくてまあ 笑いがとりやすい噺とかね。
どこ行っても
喜んでもらえるような噺は→
もうかる噺というような
感じですよね。
ただ それはね