2019/12/24(火) 22:00〜22:45 先人たちの底力 知恵泉・選▽嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”[解][字]


例えば こう→
偉い人とか周りの人から

もう最初から→
この人に嫌われてるなっていう
経験とか ないですか?(笑い声)
厳しい経験やね それは。
嫌われないように 嫌われないようにしてしまうのが→
先生! 先生!
当然 そうですね。 うん。
「嫌われる勇気」の完結編って
書いたんですが→
それは「幸せになる勇気」という…。
そういう事 書いてるので。
うん なるほどなぁ!
小和田先生。 実際 蒲生氏郷は秀吉からは嫌われていたと。
それは どういうところから
言えるんですかね?
嫌われたというよりか
むしろ なんか→
秀吉の方が ちょっと…。


蒲生氏郷が 年は下ですけれど…
そういったあれが ありますね。
冷遇されても めげずに→
たくましく生き抜いた
という事ですよね。
これは学ぶべきものが多いかも
分からんね そういうのはね。
今夜はですね こんなメニューを
用意しました。 こちらです!
冷や汁を飲まされた。 うわぁ!
でも ネバネバと粘り強くいこうじゃないかという事。
確かに この写真 見てもね
写真というか。
粘り強く もみあげも伸ばしてるね
これ!そこですか。
ここまで伸ばすって なかなか
粘り強いなぁ! この男は。
そんな氏郷の粘り強い生き方に
秘められた知恵→
味わってまいりましょう!
岐阜城で1組の祝言が行われていました。
花嫁は 織田信長の12歳の娘。
そして花婿は14歳の蒲生氏郷です。
氏郷にとって この結婚は
これまでの自分の人生を→
転換させる
喜びに満ちたものでした。
そもそも蒲生氏郷は 1556年
藤原家の流れをくむ→
名門 蒲生家の3男として

近江日野に生まれます。
当時 蒲生氏は
戦国大名・六角氏の配下にあり→
織田信長と敵対していました。
ところが 氏郷が 13歳の時六角氏が滅亡。
蒲生家は
信長に付き従う事になります。
その時 信長に人質として
差し出されたのが氏郷でした。
人物を見抜く事にたけている
信長は→
氏郷の第一印象を
こう残しています。
信長は 氏郷が
人質であるにもかかわらず→
小姓として 自分の近くに置き
才覚の有無を見定めようとします。
ある時 こんな事がありました。
信長が家臣を集めて 夜遅くまで武功談をしていた時の事。
小姓たちの多くが眠くて
うつらうつらしている中→
一人だけ
目を見開いている者がいました。
氏郷です。
氏郷はひと言も話を聞き逃すまいと→
大人たちの口元を
一心不乱に見つめていたのです。
氏郷を高く評価した信長は 武術や
軍学 学問や歌 茶の道まで教え→
一流の武将へと育て上げます。

一方 氏郷もまた信長の期待に応えようと→
初陣で 敵の首をあげるなど
才覚を発揮しました。
信長から武勇を認められた氏郷は
その娘を めとり→
人質としての役割も
終える事になったのです。
そして 織田家臣団の
一員として…
日野は豊かな土地に恵まれ 交通の
便も良く商業も発達していました。
敵対勢力も近くになく
氏郷にとっては→
心を落ち着かせる事ができる
まさに ふるさとでした。
ところが 1582年
本能寺の変で 信長が討たれます。
後継者争いを制した
秀吉の時代になると→
氏郷の境遇が