2019/12/24(火) 22:00〜22:45 先人たちの底力 知恵泉・選▽嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”[解][字]


大きく変わります。
本能寺の変から2年後の1584年
氏郷は→
近江日野から

伊勢松ヶ島へ領地替えを命じられます。
戦での功績により
6万石から12万石への加増です。
しかし 伊勢松ヶ島は 北に
織田信雄という敵対勢力と接し→
領内にも 反秀吉勢力が


くすぶっていました。
しかも 当時あった町は
交通の便が悪く→
石高に見合うほどの発展を
見せていませんでした。
伊勢松ヶ島に赴いた氏郷は
国境の警備力を高め→
領内の反秀吉勢力を
一掃しながら 町づくりに着手。
海運を利用できるように→
海岸沿いに新しい町現在の松阪をつくりました。
ところが ようやく領国経営が
軌道に乗り始めた6年後…。
氏郷は またもや
領地替えを命じられます。
今回は 小田原攻めに対する
恩賞だといいます。
新たな領地は会津の黒川で
石高は 42万石。
伊勢松ヶ島の3倍以上です。
しかし 黒川は秀吉のライバル徳川家と→
最近まで敵対していた
伊達家に挟まれた領地。
伊勢松ヶ島以上に
警戒が必要な土地でした。
加えて 町は未整備で
経済力が低く→
海路も使えない
不便な場所でした。
黒川に移る時の 氏郷の言葉です。

天下人に嫌われ遠ざけられていく氏郷。
このまま腐ってしまうのか…。
氏郷が会津黒川に赴いた頃肥後の国で一揆が発生しました。
領主は
自力で収める事ができず 切腹。
秀吉から切り捨てられたのです。
領地替えされたあとこそきちんと治めているか→
厳しく見られているに違いない。
秀吉に嫌われているならなおさらの事だ。
氏郷は 自分が天下人から
嫌われている事を客観視し→
この状況から
何ができるかを考え始めます。
まず取りかかったのは
町づくり。
伊勢松ヶ島での経験を生かし
それまでにあった町を一新。
これにより 情報や技術が集まり
流通や生産効率が向上。
漆器をはじめとする 独自の商品が
生まれました。
また かつて信長が行った
「楽市楽座」を取り入れ→
商売をするための特権や税を廃止。
誰でも自由に商売を始められるようにしたのです。
隣接する有力大名に対抗するため
軍備も増やしました。
多くの家臣を集めるため…
…を構わず召し抱えたのです。
北の伊達氏は 秀吉にとって→

言う事を聞かない目の上のたんこぶ。
そこで氏郷は 伊達氏に何か
あるたび こまめに秀吉に報告。
会津黒川で 自分が
重要な役割を果たしている事を→
アピールしたのです。
こうした功績を秀吉も認めざるをえず→
氏郷は その後 73万石まで
加増を受ける事になります。
町づくりも
隣接する有力大名への対策も→
ともに マイナス要素を
プラスに生かそうとする→
氏郷の前向きな生き方が
もたらしたものだったのです。
ああ~。
疎んじられても へこたれないと。
そういう事。 今でいうたら→
ポジティブ・シンキングというかねそんな感じですねぇ。
たくましさが必要ですよね。
さあ 小和田さん あの→
氏郷は 厳しい土地に移される度に
気持ちを切り替えて→
それを乗り越えてきたわけです
けれども どうなんでしょうね。
その時の彼の気持ちというのは…。
あの やっぱり伊勢から…まあ 会津黒川というのは→
今の会津若松ですから まあ当時は
かなり遅れた地域ですよね。
伊勢は もう進んだ地域ですから。