ホワット イズ ユア ネーム。
去年11月 一人の日本人女性が
スイスで安楽死を行いました。
女性は
体の機能が奪われていく神経難病→
多系統萎縮症を患っていました。
女性と共に 安楽死の選択と向き合い続けたのが 姉妹です。
う~ん…。
患者の死期を積極的に早める安楽死。
日本では
認められていません。
そうした中 海外からも安楽死の希望者を
受け入れているスイスに向かう→
日本人が出始めているのです。
なぜ そこまでして安楽死を選ぶのか。
その現実は
私たちに何を問いかけるのか。
女性が生前に残した言葉→
そして その死と向き合った家族の証言から探りました。
♪♪~
去年10月 私は その女性と新潟の病院で初めて会いました。
お邪魔します。 こんにちは。
こんにちは。
日本では行われていない安楽死を→
スイスで希望していることを知り→
話を聞きたいと思いました。
ミナさんは 全身を激しい痛みが襲うため薬によって症状を抑えていました。
その時は…。
話す力も 徐々に失われていました。
進行すると体の機能が奪われ→
命を延ばすためには→
人工呼吸器や胃瘻が必要となります。
原因も治療法も十分には分かっていません。
ミナさんは 2か月前に→
スイスの安楽死団体に登録を行っていました。
「自分の尊厳を守りたい」と
安楽死を望むミナさん。
しかし 日本で その死は
踏み込んだ議論が行われず→
タブー視されてきました。
ミナさんは「死のあり方を巡る議論が日本でも深まれば」と→
取材に応じてくれました。
(ノック)はい。
ミナさんの姉の恵子さんと貞子さんです。
そして 県外には妹がいました。
調子悪いの。
東京で一人暮らしをしていたミナさん。
3年前 病気を告知された時→
姉たちからふるさとに帰るよう勧められ→
入院するまで 一緒に暮らしていました。
安楽死について簡単に論じることはできません。
ただ それをあえて海外で選ぶ人たちが
出始める中で→
本人や家族は 何を考え
どんな現実と向き合うことになるのか?
私は 知りたいと思いました。
幼い頃のミナさんと2人の姉です。
両親が別れたため 姉2人は→
年の離れた妹を 子どものようにかわいがってきました。
ミナさんは 高校卒業と同時に日本を離れ
ソウル大学に進学します。
姉たちから見て 独立心の強い女性でした。
卒業後は 韓国語の通訳などの仕事で活躍しました。
(韓国語で)
40代半ば過ぎ 第二の人生を歩もうと→
児童養護施設で働く道を目指します。
そのやさきに多系統萎縮症の告知を受けました。
その後 ミナさんに
どんな心の動きがあったのか。
姉の恵子さんと一緒に暮らしていた頃
毎日のようにつづっていたブログです。
手から よく 物を落としたり
平坦な道で転倒してしまったり→
日々 体が動かなくなっていく戸惑いが
記録されていました。
「初めて 姉の傍で
四つん這いで動作したとき→
私は 姉の顔を見ることが
出来ませんでした」。
「私の心も
正直 痛かったです。→
その光景を見たときの姉の心中も
想像に難くないのです」。
一方で このころは 現実を受け入れて
生きようとする姿も見せていました。
「行くたびにガッカリするだけの
受診ですが 姉達と一緒に→
笑いながら過ごす このひとときが
かなり気に入っています」。
「心の底から
面白いと感じられることがある。→
このことを 拠り所にしていかなくてはと
思うのでした」。
しかし 病状が悪化した 去年3月→
ミナさんの心を揺さぶる出来事が起きました。
姉と一緒に 医師から紹介された病院を
訪問した時のことでした。
そこで ミナさんは
将来 自分が必要になると言われていた→
人工呼吸器をつけた患者を