2019/12/28(土) 22:00〜23:00 SWITCHインタビュー 達人達(たち)・選「舘野泉×中村桂子」[字]


そういう意味では…。
すばらしい時間だった…。
はい。
ある意味では ご夫婦の人生の中で→

もちろん災難でいらっしゃいましたけど→
いい時間をもらったともいえるんですね。
そうそう…。
何か 全部 プラスに お考えになりますね。
そう思って やってるわけじゃないけどね。ええ。
何か 不思議な方だわ。


でも そういうふうに生きられたらすばらしいなとは思いますね。
何十年間か…
分かりました。
教えられたから やったんじゃなくて→
自分で こう やってきたから→
そんなことでは なくならないぞ これは
っていうのは おありに…。
そうです。
なるほど。
そんなに 特に
教わったりなんかすることじゃなくって。
なるほど。
それは でも やっぱりお小さいときから→
ず~っと そういう中で
お暮らしになって→
それが もう
体に染みついてらしたからで→
そういう意味では
お幸せだったんですね。
そういうふうに思える…。
それは やっぱりご両親が くださったんですよね。
それで 僕が 小学校なんかで
呼び出されるんですよ。
「おたくのお子さんは 授業中に→
いつも 外ばっかり ぽか~んと見て心は どこにあるのかしら?→
ちょっと
発育が遅れてるんじゃないか」とか。
それから「おたくのお子さんが書く…」。
フフフッ…。
うわ~ いいお母様ですね~!

「はみ出したほうがいいんだよ」…?はい。 フフフ…!
へえ~! あっ それで…
こういうすてきな方が育ったんだわ。
やっぱり お母様が偉かったんだ。
(笑い声)
「平凡」とは言えないかもしれないけど
でも…
…っていうのは 何か
本当に よく分かりました。
脳出血で倒れてからも
ピアニストとして 復帰を願っていた舘野。
根気よく リハビリを続けたが
1年たっても 右手は動いてくれない。
「もう自分は おしまいなのか?」。
1年半ほどが過ぎ 諦めかけたころ大きな転機が訪れる。
きっかけは
自宅のピアノの上に そっと置かれた→
ある曲の楽譜だった。
イギリスの作曲家 ブリッジが→
戦争で右腕をなくした友人に向けて書いた
左手のための曲。
楽譜を置いたのは
バイオリニストの息子 ヤンネさん。
ピアノが弾けなくなった父を思い→
留学先のアメリカで探してきたものだった。
僕も
そういう… 軽い経験あるんですけど。
…と思って。
その瞬間ですから…。
それに 1秒か2秒しか

かからなかったと思うけど…
左手で やればいいとかなんとか
そういうことじゃなくて。
理屈じゃないんですね。
理屈じゃないんです 全然。
ああ この音楽…。
だから それが本当に…たぶん 2~3秒で→
考えが パッと変わっちゃったんですよね。
はあ…。
それで…
東京と大阪 札幌 福岡 仙台で復帰しますと。
え~! まだ弾いてらっしゃらないのに?
はい。
復帰のリサイタル
それで復帰しますけど でも…
でも 私 見ただけで… パッと開いて
曲を頼んでしまうっていう…。
舘野さんらしいって思いますよ。
普通は ちょっと考えますよやっぱり そこは。
そうなんですよね。
ええ。
でも それは何か…
何なんでしょうね? それ。
自分でも 何だか分かんないけど…。
でも それあっての今でらっしゃるわけだから。
だから パッと…
ああ… そこが…。
(笑い声)
そこが やっぱり楽天家で いらっしゃるのかな?
ただ いつも 自分のやりたいことが