みんな 東京の息苦しさのはけ口を求めているようだった>
ヒト モノ カネを飲み込む東京には
もう一つの世界も広がっていた。
闇経済である。
アメリカのノンフィクション作家ロバート・ホワイティング。
かつて アメリカ軍の兵士として
秘密工作に従事した。
オリンピック前後の
東京の裏社会を目撃した。
組織暴力団は このころ
戦後最大の18万人に達した。
警察は オリンピック期間中→
各組に 組員を地方に所払いするように要望したが→
大会が終わると 再び勢いを取り戻した。
海外のメディアは敗戦国 日本の劇的な変貌に関心を持ち→
大勢の特派員を送った。
特派員の拠点は米軍基地近くの赤坂や六本木。
占領時代さながらの
キャバレーやバーも多かった。
ドライ・マティーニ お願い。
はい。
10月10日。
いよいよ オリンピックが開幕した。
入場券を持たない人々は→
競技場の隙間から一目 開会式をのぞこうとした。
<小学校の授業でも
テレビ中継を見せたらしい。→
オリンピックに無関心だった人たちも
テレビにかじりついていた。→
テレビは 日本中の空気を一変させた>
<オリンピックの熱狂に水をさすニュースが飛び込んできた>
(テレビ)「16日深夜 中共は
初の核実験に成功したと発表。→
世界に大きな衝撃を与えました…」。
大会に参加していなかった中国が→
このタイミングで
初めての核実験を行った。
中国人は躍り上がった。
日本では 放射能の濃度が急激に上昇した。
東京で100倍 高知で500倍
新潟で1,000倍。
<しかし 核戦争の恐怖も→
オリンピックの熱狂を消し去ることはできなかった。→
10月23日。
女子バレーの優勝決定戦>
(拍手と歓声)
そもそもバレーボールは→
集団就職の女子工員向けに導入された
レクリエーションであった。
日紡貝塚は
大松監督のスパルタ指導に鍛えられ→
世界で連戦連勝 東洋の魔女と呼ばれた。
選手たちは 朝8時から午後4時半まで工員として働き→
そのあと 深夜まで練習が続く。
オリンピックの2年前。
日紡貝塚は世界選手権でソ連を倒し
世界一に輝いていた。
優勝を果たした選手たちは
引退して 結婚し→
新たな人生を始めるつもりだった。
そもそも 女子バレーは→
オリンピックの競技では
なかったからである。
だが どうしてもメダルが欲しい日本は→
開催国の特権として女子バレーボールを→
東京大会の競技として採用することを
IOCに認めさせた。
しかし 選手たちは激しく反発した。
引退の意志は固かった。
東洋の魔女の引退は
日本中に議論を巻き起こした。
大松監督のもとにも
5,000通の手紙が届いた。
引退を非難する手紙も多かった。
東洋の魔女の主力選手だった谷田絹子さん。
80歳の今も
ママさんバレーのコーチをしている。
選手も大松監督も
引退を諦めるしかなかった。
しかし 開会式直前
関係者が青ざめる事態が起きた。
女子バレーの出場国の一つだった
北朝鮮選手団が突如帰国→
参加チームが5つになったのだ。
競技開催には最低でも6か国の参加が必要だった。
日本は 急きょ韓国へ参加を打診。
韓国チームが到着したのは競技が始まる当日のことだった。
(テレビ)「日本優勝しました。→
15対13 ストレートで勝ちました!→
日本 優勝しました!
日本 金メダルを獲得しました!」。
勝利の瞬間の大松監督。
オリンピックの熱狂は→
噴き出し始めた
高度成長の矛盾を封じ込めた。
東京オリンピックは 日本の復興と誇りを
世界に示した 成功体験として→
人々の記憶に刻まれることとなった。
1兆円を注ぎ込んだオリンピックの2週間が終わった。
<冬が来た。→