人が泣くっていうことが→
もう とてつもなく大きな
もう言葉には表せないような感動で。
その時に こういう仕事やったら
俺 一生やっていけるなと思ったんです。
それが 最初に映像に興味を持った
きっかけでした。
高校卒業後 保山さんは
テレビカメラマンになるため→
アシスタントから修業を始めます。
その後 世界遺産や 話題の人物に密着するドキュメンタリーを→
数多く手がけるなど 第一線で活躍。
あらゆる機材の扱いにたけたカメラマンとしての地位を築き上げていきました。
特殊な機材 特機を使ったら
保山と言われるぐらい→
いろんなテクニックや機材を
使っていらした?
そうですね。 その
「できません」っていうのも嫌でしたしね。
だから いろんな その
特機と言われてるんですけど→
いろんな撮影機材があるじゃないですか。
例えば?
ステディカムという
カメラの防振装置なんですけど。
ぶれずに。
はい。 移動しても ぶれずに撮れるとか。
滑らかに撮れますね。
はい。 あと レールで移動するとか。
クレーンカメラがあるとか。
まあ 皆さん何となく分かると思いますけど→
それ以外にも まあ
いろんな特殊機材があって。
おもちゃみたいに楽しいという面も
あるんですけれども→
一つの特機 機材があると→
一つの 間違いなく一つの表現手段がプラスされるじゃないですか。
例えば 分かりやすく言うと 例えば
この部屋で何か撮れと言われた時も→
カメラと三脚が… しかなければ→
最初から カメラと三脚で撮れるものしか人は発想しないでしょ。
でも 僕は違って
ここで撮れって言われたら→
まず カメラとか機材とか
一切 何もイメージせずに→
すごく自由な形で
自分の中でコンテ作るんですよ。
例えば 空中をカメラが
こう ず~っと やってきて→
そのままワンカットで中に入ってとか。
機材に縛られずに自分でコンテを書くんですよ。
でも 実際に撮影するとなると
カメラと三脚があって→
三脚も この三脚1本しかない→
高い三脚も低い三脚もなくスタンダードな三脚。
やれることは限られてくるから→
その自由な発想の絵コンテを妥協していって→
やれることだけで
その映像を成立させるんです。
でも そこに
いろんな特機が入っていくと→
妥協することが
減っていくじゃないですか。
どんどん自分の自由な その絵コンテに
近づけることができるじゃないですか。
だから 特機は大好きやったんです。
脂 のりきってね大きな番組も任されるようになった→
そんなさなかに倒れられた。
はい。
2013年の夏ですね。
だから もう6年か。 はい。
もう 世界遺産の白神山地を撮って
帰ってきて 自宅で倒れたんですけど。
自宅で?
はい。
その時の診断は 末期の直腸がんで
余命1か月2か月→
余命というか 何もしなければ
2か月で命がないよ→
というふうに
まあ はっきり言われましたね。
とにかく もうすぐにでも
治療しなければ ということで→
冷静に その… だから
末期がんだからっていうことで→
だから 明日生きるために何するか
みたいなことで→
放射線治療なり 化学療法なりで
なんとか手術ができるようになって。
で 手術が終わったあとも まあ→
抗がん剤治療がまた1年ぐらい続くんですよ。
直腸と大腸の一部を
全摘したんですけどね。
で その時に 主治医じゃなくて
化学療法の先生から→
「保山さんの場合は
これ うちの病院のデータでいうと→
5年後生きている確率は10%なんで」って
さらっと言わはるわけですよ。
その時に あ 俺そうなんやって。