何かこう 別の力が働いてるから→
僕が行くところ行くところ全て→
いいタイミングで撮影することができるんだなというふうに→
撮影を続けると思うようになって→
で 今 分かるんですけど撮らして頂いてるんですよ。
あの~ 確かに 僕が毎朝起きて
歩いて撮りには行ってるんですけれども→
でも もっと俯瞰してみたら→
神様仏様がいてるのか いてないのかそれとは別に→
この奈良から「保山さん撮っていいですよ」
っていうふうな感じでね→
なんか撮らしてもらってるんですよ。
どこへ行っても そう感じるんです。
「どうぞ 撮って下さい」と言わんばかりに
美しい風景が広がる。
だから 何かね それは
僕に役目を与えられているような気が→
もう日々 強くなって。
今はもう 確信に変わってるというか。
だから病気になって死ななかった
というのは まだ生きてるというのは→
あ こういう役目を
与えて頂いたからなんだなと。
余命宣告された時に→
今の自分のことなんて想像できるはずないじゃないですか。
あの~ 全部なくなったんですよ。
だからポケットにあったものが全部なくなって で 空っぽになって→
で もうあとは
どうやって死ぬかというか→
死ぬことしかなくて で まあ
死ぬのも大変だろうなと思いました。
死ぬのも つらいだろうなと思いました。
その先に何の望みもないと覚悟してたんです。
でも 自分がやれることを
撮るということを→
コツコツ コツコツ こう
一日一日 積み上げていったら→
いろんな人が
そういう僕を見てくれてね→
どんどん どんどん
状況が変わっていって→
今やね 大勢の前で
上映会さして頂いたりとか。
そういう状況になってるということは
想像すらできないじゃないですか。
だから人生って不思議だなと思います。
だから今も 僕のもとにね 「余命宣告されました」というような方から→
結構メール 頂くんですけど
僕の姿を見て下さいと。
もう全部なくなって
あとは死ぬだけって覚悟してたのに→
そうやって自分の人生に
まっすぐ向き合った時に→
こんなことが起きましたよと。
だから 諦めないで下さいって自信を持って言えるんです。
慰めじゃなくて。
だから僕の姿を見て 希望を持って一緒に頑張りましょうよって。
何が この先 待ってるか
分かんないですよって。
今までの人生よりも
もっと喜びに満ちたことが→
待ってるかも分かんないですよって。
だからね もう… 死ねないんですよ。だから やめれないんです。
やめてしまったら「一緒に頑張ってる」と
言って頂いてる皆さんが→
「あ~ 私もダメなのか」って
「やっぱりダメやったやん」って→
思ってしまうので そういうふうに
がっかりはさせたくないというか。
でもね 弱い自分もあって
そういう自分の役目があるから→
役目があるうちは
まだ生きてるっていうか→
生きて 生かして頂いてるって→
自分を勇気づけてるところもあるんですよね。
ですから 僕が 余命宣告されてる方を
支えてるんじゃなくて→
そういう余命宣告を受けて 僕を見て
頑張っていらっしゃる方がいるからこそ→
僕が助けられているという
救われてるという面もあるんで→
あの~ お互い支え合ってね 頑張れてる
っていうことに感謝しているんで→
1日も長く続けたいと思ってます。
♪♪~
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2019/12/29(日) 05:00〜06:00
NHKEテレ1鹿児島
こころの時代〜宗教・人生〜・選「命の輝きをうつす」[字]