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2020/01/14(火) 22:30〜23:20 プロフェッショナル 仕事の流儀「ひきこもり支援・石川清」[解][字]


男性は 大学受験に失敗。
以来 劣等感にさいなまれ

10年近く ひきこもってきたという。
だが 石川と出会い
徐々に外出できるまでになっていた。
そんな男性を 石川は
沖縄旅行へと連れ出した。
夜は 宴会に誘った。
集まったのは ミュージシャンやプログラマー 民生委員など→
石川の古くからの知り合い。
ひきこもっていることを特別扱いする人は一人もいない。
そのことに 男性は驚いている様子だった。
宴会が終わった時のことだった。
男性が つぶやいた。
1週間後。
東京に戻った石川は
男性と旅を振り返っていた。
男性は 石川と一緒には帰らず
数日間 沖縄に残っていた。
泊まっていた民宿で友人ができたという。


1964年。 埼玉のごくありふれたサラリーマン家庭に石川さんは生まれた。
でも なぜか 子供の頃の写真は
ほとんど残っていない。
忘れられない記憶がある。
友達も 先生も誰も助けてはくれなかった。
人間不信が 深く刻まれた。
偶然 目にした怪獣映画がやけに印象に残った。
(咆哮)
「ゴジラ対ヘドラ」。
公害で汚染された海のヘドロから
生まれた怪獣ヘドラ。
石川さんは 人間社会を破壊するヘドラを
夢中になって応援した。
二十歳を過ぎても
人間不信は拭い去れなかった。
就職する気になれず
大学を休学して日本を抜け出した。
向かった先は フィリピン マニラ。
貧困にあえぐ人たちが暮らすスラム街に住み着いた。
そこで 思いがけない体験をする。
高熱を出し 寝込んでしまった時のこと。
近所の人が 貴重な食料を手に
次々と見舞いに来てくれた。
自分たちの暮らしも
ままならないはずなのに→
彼らは どこまでも優しかった。
人は それほどひどいものではないのかもしれない。
より深く理解したいと 大学卒業後
テレビ局に就職し 記者になった。
でも 組織になじめず3年で退職。

フリーで活動し始めた。
そして 34歳の時
家にひきこもる人たちの存在を知る。
何気なく取材を始めたが→
膝を突き合わせて話を聞くうち慄然とした。
僕が思ったのは…
周囲からの助けもなく 絶望する人たち。
自分と 重なるものがあった。
吸い寄せられるようにひきこもる人に次々会った。
そんな時
1人のひきこもりの男性と出会った。
医療機関や支援団体からも見放され
「死にたい」と訴えていた。
見て見ぬふりは できなかった。
旅に出て3週間がたった頃…→
石川さんの何気ない言葉に男性が反応し
突然 笑い始めた。
その日を境に
男性は みるみる変わっていった。
自分と関わる中で 人が死ぬことをやめ
生きる希望を見いだしてくれた。
自分自身も 救われた思いがした。
気が付けば取材者から 支援者になっていた。
専門知識はなく ただ向き合うのみ。
「俺で商売するんじゃねえ」「偽善者野郎」→
心ない言葉を幾度となく浴びせられた。
でも 彼らを憎む気にはなれなかった。
石川には 気になっている男性がいた。
車 そこに置いちゃったんだけど大丈夫?
大学を中退して以来

20年近くひきこもっていた 40代男性。
男性は 極度の対人恐怖症。
それでも 石川と一緒であれば外食や外泊ができるまでになっていた。
しかし 今なお両親の厳しいしつけの
影響から 抜け出せずにいた。
親の顔色をうかがいながら育つ中で
感情を表に出せなくなった男性。
どうすれば その呪縛から
解き放つことができるのか。
石川は 男性を韓国に連れ出した。
知る人が全くいない外国であれば対人恐怖が和らぐため→
さまざまな体験を積みやすいという。
石川は男性に 自分で物事を決めるよう仕向けていく。
10分後。
男性は この一日で初めて自分の意志で物事を決めた。
(石川)ちょっと甘いか… 思ってたより。
石川は 更にその背中を押す。
だが いざ自由行動
と 歩き出した時だった。
男性が腹痛を訴えた。

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