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2020/01/17(金) 22:00〜22:50 NHKスペシャル 阪神・淡路大震災25年▽あの日から25年 大震災の子どもたち[字]

俳優 北川景子さん。
25年前の今日
阪神・淡路大震災で被災しました。
今回 初めて 「震災」をテーマにした番組で
自身の経験を明かしました。
それ以来 震災の経験を積極的には
話してこなかったという北川さん。
そんな自分を変えるきっかけにしたいと
取材を受けることにしました。
今回 番組では 北川さんのように
あの日 子どもだった およそ600人に→
初めての調査を行いました。
子どもから大人へ そして 親へ。
25年の歳月を経て 多くの人たちが 今→
自らの言葉で震災の経験を語り始めています。
今回 私も ふるさと 神戸を訪ねました。
当時の子どもたちは 今 震災をどのように捉えているのでしょうか?
「震災を生きる力に
変えてきた」。
そう答えた
人たちがいました。
「震災を思い出すと つらい。
それでも忘れることはできない」。
相反する気持ちを抱えている
人たちもいます。
小さな胸に悲しみを抱え込んでいた
あの日。
そして 生きる希望をつかんだ あの時。
「大震災の子どもたち」25年の心の軌跡です。
(汽笛)


去年10月 NHKは社会心理学の専門家と共に→
震災から25年で
初めての調査を行いました。
対象は 当時 小中学生だった子どもたち。
591人から回答を得ました。
震災に対する心境の変化
進学や就職への影響→
住む場所の選択への影響などについて
聞いたところ→
専門家も予想していなかった
結果が出ました。
心境の変化について聞いた答えです。
震災の体験を前向きに捉えている人がおよそ6割に上りました。
しかも 家族や住まいを失うなど
被災程度が高い人も→
同じ傾向だったのです。
震災の経験を前向きに捉えているという人たち。
なぜ そう思えるように
なったのでしょうか?
「精神的に成長できた」「生きることには
意味がある」といった項目全てに→
「そう思う」と答えた人がいました。
長谷川元気さん 33歳です。
この学校に通っていた
小学2年生の時に被災し→
2人の家族を亡くした元気さん。
幼い身に 震災はあまりにもつらい体験でした。
母親の規子さんと→
3兄弟の末っ子 翔人くんです。
よ~い よ~い よい!


余計 言ったらね…。
震災の前の年の翔人くん。
撮影したのは 母の規子さんです。
責任感が強く しつけには厳しかった母。
褒めてくれる時の優しい表情が元気さんは大好きでした。
そして あの日
震災が全てを変えました。
全壊した自宅から 父親 元気さん
1つ下の弟は 外に出られましたが→
規子さんと翔人くんは
埋まったままでした。
しかし 当時の元気さんは→
張り裂けそうな思いを 一人→
その小さな胸に抱え込んでいました。
小さい頃は なすびが好きだということも知らなかったし…。
父の博也さんです。
震災後仕事をしながら全ての家事をこなし→
子どもたちを育ててきました。
ミートソースは たっぷりです。
おいしそう。
お父さんにも?お父さんにも はい。
元気さんが 悲しみを
表に出さないようにしていた姿を→
博也さんも よく覚えているといいます。
このころ 元気さんが書いた作文です。
自分が助かるまでの状況が
つづられたあと→
作文は 唐突なひと言で終わります。
「たつのにいってかそうしました」。
母と弟に何が起きたのか→

これ以上のことは書かれていませんでした。
人前では
悲しみを出さずにいた元気さん。
つらい気持ちが抑えられなくなると
校庭の隅に隠れて 泣いていました。
そんな元気さんを
そっと見守っていた人がいます。
当時の担任 酒井久栄先生です。
突然 母と弟を失いながら悲しみに耐えている 僅か8歳の教え子。
一人で泣いている元気さんを見つけると

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