この激しい風を ヒッタイトの人々が巧みに利用していたというのだ。
山の斜面にある洞窟に 製鉄の痕跡が
残されているという。
あっ これなんか すごいじゃん。 ほら。
ガラガラ出てる。
大村さんは こうした
強い風の力を利用して→
製鉄炉を高温に保っていたと見ている。
ヒッタイトは 荒野の厳しい自然環境を逆手にとり→
他国は成しえなかった鉄の量産に
成功したのだという。
鉄を手にしたヒッタイトの人々。
これまでは 主に武器に使っていたと語られてきた。
ところが今 意外な方法で→
鉄を利用していたことが明らかになってきた。
ヒッタイトが使っていた くさび形文字が
刻まれた粘土板に→
それを知る手がかりがある。
これまでに 3万枚以上が見つかり解読が進められてきた。
去年 この粘土板から
新たな発見があった。
紀元前18世紀。
この地の王族がつづった一通の書簡。
そこには 貴重な鉄を贈ることで→
ほかの国と結び付こうとする様子が記録されていた。
鉄は当時 銀の40倍→
金の8倍もの価値があったという。
この貴重な鉄をヒッタイトは→
「外交」の切り札に利用していたことが分かってきた。
当時 ヒッタイトの周囲では
超大国エジプトに加え→
アッシリアという新興国が
大きな脅威となっていた。
この時のヒッタイトの外交戦略が
記録に残されている。
アッシリア王から 鉄を要求された
ヒッタイトの王は こう切り返した。
ヒッタイトは 鉄を欲しがる
アッシリアからの要求を→
巧みにかわしながら
鉄を持っていることをほのめかし→
外交を優位に進めたと考えられている。
鉄を使った外交によって→
アッシリアとの戦いを回避した
ヒッタイト。
アナトリアの荒涼とした大地に→
一大国家を作り上げていった。
しかし 繁栄を極めていたヒッタイトに
最大の危機が訪れる。
領土拡大をもくろむ
超大国エジプトが攻め込んできたのだ。
エジプト史上最強とうたわれた→
ラムセス2世が率いていたのは2万の大軍だった。
これに対してヒッタイトは
同盟国から援軍を得ることに成功。
エジプトに劣らない勢力を確保した。
更に 当時 画期的だった3人乗りの軽戦車を駆使して応戦。
♪♪~
ヒッタイトは エジプトを撃退。
領土を守り抜いた。
その後 ヒッタイトはエジプトと平和条約を締結。
武力で争わず 対等な関係を築く
取り決めを交わした。
この条約は 世界最古の平和条約として
大切に残されている。
荒野に生まれた小国だった ヒッタイト。
鉄を武器だけではなく外交の道具に使うことで→
大国エジプトに対抗できるほど
発展していきました。
しかし 紀元前12世紀→
ヒッタイトは こつ然と姿を消します。
ここから 鉄の生産技術は
周囲に広がっていきます。
今 いち早く伝わったと
考えられているのが→
スキタイへと続く 東のルートです。
ヒッタイトの滅亡が紀元前12世紀。
コーカサス山脈を越えるのが
紀元前10世紀。
その後 スキタイが
鉄を本格的に利用するのは→
紀元前8世紀です。
スキタイは 瞬く間に 製鉄技術を勢力圏の東側へと伝えました。
「アイアンロード」は
シルクロードの北側を通っています。
なぜ このルートだったのか?
理由は ユーラシアの「自然条件」によるものだと→
考えられています。
鉄を作るには 燃料となる木材が必要です。
それが手に入るのが 北側の森林地帯。
しかし 標高が高く 寒いため人が住むことはできません。
一方 南側は砂漠で 木材が採れない。
そこで 人々は森林地帯の麓の草原に暮らしながら→
鉄の技術を伝えていったと→
考えられているのです。
その結果 アイアンロードは
ほぼ同じ緯度で→
ユーラシア大陸を
横切るような姿になりました。
スキタイまで伝わったアイアンロード。