2020/01/25(土) 19:30〜20:15 ブラタモリ「浜松〜なぜ浜松が楽器の町になった♪〜」[解][字]
はぁ…。
なんと 境内の中に 秀吉と家康の像!?
そこの真ん中の所にちょうど足形がありますけども…
おぉ~。
あっ サルと呼ばれてたんだ。
(笑い声)
豪華!
タモさん
もう出世しなくてもいいですよね?
本題に戻りましょう!
実は…
ここですか。
はい。
この場所に東照宮が建てられたのは
実は 明治になってからのこと。
もともとは
家康に関わる重要な建物がありました。
そうです。
まず…
はぁ~。
そうです はい はい。
そうなんです!
家康が来るまで この辺りは…
1570年
家康が この場所に城を築き→
「浜松」という地名を付けます。
やがて家臣をはじめ商人 職人 多くの物資が集まり→
大きな町になっていきました。
なぜ家康は 城を建てるのにこの場所を選んだんでしょうか?
その理由は 町を歩くと分かるんです。
絵図を見ながら探りましょう!
これ何でしょう?
あっ 堀があったんですか。
堀と その堀の真ん中に 土手が。
ええ…。
こんにちは。
こんにちは。 お久しぶりです。
何なさってんですか。
よろしくお願いします。静岡大の小山です。
静岡の地形に詳しい 小山真人さん。
富士山ではタモリさんと苦楽を共にしました。
あ~ そうなんですね。
富士山もお世話になりましたしね。
えっ そうですか!
じゃあ 詳しいですね。
(3人)よろしくお願いします。
実は 小山さんの見ていた石垣は家康がこの場所を選んだ手がかり。
もともと
お城の土塁だった場所なんです。
それで 更に あそこに出てもらいますと
分かると思いますが…。
それで この石垣
ずっと まっすぐにきて…。
まずは断層ですね。
ほう…。
(小山)バッチリです。
あぁ そうですか。
そうです。
ここに。
(小山)地形図を見て頂くと
一番いいと思います。
あ~ ここ!
今 はい そこにいますが…
なんと この石垣のある場所は
天竜川がつくった崖。
家康は 河岸段丘のへりをわざわざ選んで
城を建てていたんです。
それには
切実な理由がありました。
ちょっと開いてみます。
おっ。
桶狭間で今川が滅んだあと→
この辺りは→
どんなふうに
なりましたですか?
(太田)はい そうですね。
そうなんです。
当時 東にいる武田信玄の勢力が
強くなっていました。
家康は 信玄の動きを見張るため→
東側を一望できる高台 つまり浜松の河岸段丘のへりを選んで→
城を建てたんです。
浜松が なぜ楽器の町になったかという5つのステップのうちで…。
第1…
家康が信玄に対抗して天竜川の河岸段丘に城を築いたことが→
浜松という町の始まり。
これから どうやって楽器の町になっていくんでしょうか?
はい 分かりました。
家康の領地でつくられていた「あるモノ」って何なんでしょう?
タモリさんが向かったのは→
中心地から10キロほど離れた場所です。
何ですかね?
農作物ですか。
そうですね。
かつて。
浜松名産…。
うなぎ… うなぎパイしか…。(笑い声)
まずは ここが どんな場所なのか
確認しておきましょう。
は~!