みんなで集まって愚痴ばっかり吐いてたね。
みんな それぞれ活躍してるなんて
本当に奇跡だよ。
(鉄男)ああ…。 その俺たちの集大成が
オリンピックだからな。
裕一 頼むぞ。
うん! フフフフ…。
あ~ うれしいな。
(鉄男)うん!
久志さんと藤丸さんも呼びましょうか?
あ~ 呼ぼう 呼ぼう!
♪♪「汽車の窓から ハンケチ振れば」
ラン ランラ ランランランラン。
♪♪「牧場の乙女が 花束なげる」
ジャン ジャンジャ ランランランラン。
木枯君に相談したって?
心配だったんです。
僕さ…→
日本で行われるからって日本古来の音楽取り入れたり→
復興を高らかに叫ぶマーチになんか
したくなかったんだ。
もっと普遍的な 世界中の人々が
心高鳴る音楽にしたかった。
そうやって心に決めたら→
毎日 あふれんばかりの音が僕の中に降ってきたけど→
何かが足りなくてね… 書き出せなかった。
その「何か」は見つかりました?
うん 見つかったよ。 今さっき。
いつ会っても 出会った頃のように騒げる仲間がいる。
これ以上の幸せってあるのかな?
何よりも尊いのはさ人と人とのつながりだと思うんだ。
僕は それを曲に込めたい。
<迎えた1964年10月10日→
東京オリンピック。→
裕一の思いが込められた曲が秋晴れの国立競技場に響き渡りました>
おじいちゃんだよ ほら。
(テレビ)「スポーツマンシップを発揮し→
正々堂々と戦ってもらいたいと思います」。
(まき子)楽しみだね。
(ラジオ)「オリンピックは
全世界の青年の胸に…」。
いや~ 天国の藤堂先生も
喜んでるんだろうな~!
裕一が また一つ
大きな仕事を成し遂げました!
最高でした!
<その後 裕一は 池田と一緒に数々の舞台音楽を手がけていきました。→
…が ある日>
先生!? 先生!
<長年の同志 池田を亡くし 仕事に対する
情熱を すっかり失ってしまった裕一は→
第一線から退いていきました。→
それから5年 音は乳がんを患い闘病生活を送っていました>
(ノック)
どうぞ。
本日は お時間頂き
ありがとうございます。
…で 用件は?
何か聞きたいことがあるとか。
私は 古山先生を→
小山田先生から続く 日本の音楽の正統な後継者だと認識しています。
(猿橋)
亡くなられる3日前に書かれた手紙です。
(猿橋)先生は 出すべきかどうか
迷われていました。
今日 持ってきたのは 私の判断です。
「君の音楽に触れるにつれようやく 私は わかったことがある。→
私は音楽を愛していた。
君は音楽から愛されていた。→
今 思えば それが悔しくて恐ろしくて
君を庶民の音楽に向かわせたのだろう。→
私は 己のエゴのために→
君という才能とともに愛する音楽を冒とくしてしまったのだ。→
後悔の念は ずっと つきまとい→
私の心を蝕んだ。→
死の間際で
君のオリンピックマーチを聞いた。→
音楽の深淵を知る曲だ。→
期待に応えた君に 国民を代表して最大の賛辞を贈りたい。→
ありがとう。→
最後に気が引けるがどうか私を許してほしい。→
音楽を通して日本に
勇気と希望を与えてきた同志として→
今度は語り合いたい。→
小山田耕三」。
先生の前では しかめ面でしたが→
笑顔は 子どもみたいにチャーミングです。
音楽の話を一晩中 語り尽くします。
(広松)なぜ お元気なのに曲を書かれないのか…。
譜面にするのは まどろっこしいんだ。
でしたら 僕が採譜します。
我々 若い世代に
正しい道をお示し下さい!
私はね… 人の力になるための音楽を
たっくさん作ってきました。
だから… もう 僕の中にある音楽を
僕だけで楽しみたいんだ。
次は君たちが担ってくれ。
熱意ある… 若者でしたね。
ああ…。