2019/02/17(日) 21:00〜21:50 NHKスペシャル 平成史 第5回「“ノーベル賞会社員”〜科学技術立国の苦闘〜」[字]

去年11月。
平成のノーベル賞ラッシュを
彩った科学者たちが→
一堂に会していた。
ノーベル医学・生理学賞を受賞した→
本庶 佑を祝福するためだった。
その中に 16年もの間→
メディアを遠ざけ続けてきた
研究者がいた。
2002年 平成14年に→
ノーベル化学賞を受賞した田中耕一である。
世界でも まれな
ノーベル賞会社員として→
一躍 時代の寵児になった田中。
よろしくお願いします。
今回「クローズアップ現代」の
キャスターを務めた 国谷裕子に→
ノーベル賞受賞後の苦悩を
初めて語った。
私は そんな…
♪♪~
今年4月で
幕を閉じることになった平成。
平成は 私たちにとって
どのような時代だったのか。
新たな証言や 新発見の資料から
激動の30年を見つめるシリーズ→
「平成史スクープドキュメント」。
うれしい! なんてやらないよ。
平成に入って 18もの自然科学系の


ノーベル賞を受賞し→
科学技術力を 世界に印象づけた日本。
しかし それは右肩上がりの成長が続いた→
昭和の時代の遺産だった。
今 日本の国際競争力は平成初めの1位から 25位にまで転落。
国の科学技術予算も→
アメリカ 中国という 2つの大国に大きく引き離され→
将来に 暗雲が
立ちこめている。
そうした中
沈黙を続けてきた 田中耕一が→
去年 新たな研究成果で
再び世界に衝撃を与えた。
血液数滴から 発症の30年も前に→
アルツハイマー病の兆候を捉える技術を開発したのだ。
革新的な技術が支えた
戦後の繁栄を経て→
今 大きな岐路に立たされた日本。
田中は どのようにして 新たなイノベーションを たぐり寄せたのか。
ノーベル賞会社員の知られざる16年から
科学技術立国の苦闘を描く。
♪♪~
大手分析機器メーカーの島津製作所。
田中耕一は ここで35年間→
一エンジニアとして働いてきた。
(取材者)おはようございます。
おはようございます。
ノーベル賞受賞後に設立された→
田中の名前を冠する研究所。
おはようさ~ん。


(一同)おはようございます。
ここにカメラが入るのは
初めてのことだ。
(取材者)サッカーボール…?
ああ はっはっは ここで話すか。
新たな発想のヒントになるものを
身近に置くようにしているという田中。
若い研究者と共に
今なお 現場に立ち続けている。
2002年 平成14年。
シマヅコーポレーションキョウト ジャパン。
号外です。
号外です。 どうぞ。
この年のノーベル化学賞が
日本の民間企業の技術者に贈られた。
修士号も博士号も持たない研究者に
この賞が贈られるのは→
世界で初めてのことだった。
[外:E806D1481CFA721DA5F60413531F39BD]すいません ちょっと電話が入りました。
ちょっと すいません。
まだ取材が続いてるんで。取材が続いてるんで!
すいません。
田中さ~ん。 田中さん お願いします。
バブル崩壊後の景気低迷が
続いていた時代。
中年サラリーマンの快挙に
日本中が熱狂した。
田中は 一技術者にすぎない自分が
ノーベル賞を獲得したことに→
違和感を抱き続けていた。

(笑い声)
(ため息)
はい。
これが 16年に及ぶ
田中の苦闘の始まりだった。
(国谷)<平成に入って始まった
ノーベル賞ラッシュ。→
それは戦後 高い技術力で
世界第2位の経済大国に上り詰めた→
日本を象徴するものでした>