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2018/07/21(土) 19:30〜20:15 ブラタモリ「#109 関門海峡・門司」[解][字]


あれは何ですか? あの建物。
あの建物がですね 今から

ご案内するんですけれども…
タモリさんが見つけたのは→
大正6年に建てられた船会社の門司支店。
この建物を よ~く見てみると→
「関門海峡」という名前が付いた理由が分かるんです。
是非 ご覧頂きたい部分が
あるんですけれども。
釉薬が塗ってありますね。
はい。
よくご存じですね。
ん?
あ~ ほんとですね
ポコってしてますね。
この時代はね ちゃんと
こうやるんですよ これ。
へえ~。
おっしゃるとおりですね。
タイルを美しく際立たせる


この覆輪目地。
以前 東京駅でも
見ましたよねぇ。
あっ きれいだね やっぱりね。
(桑子)確かに きれいです。→
分かりますね。
すごいですね。
これ 外側から見るのは
全然違うんですよ。
普通の目地が引っ込んだ目地と。
手間もお金もかかる覆輪目地は当時としては最高級の仕上げ。
かつての門司が
どれだけ栄えていたかを物語る→
痕跡なんです。
明治中期に描かれた地図からもその様子が よく分かります。
これ何ですか…。
逆に こっちには…。
あと こちらに…
こういうふうに…
じゃ こういうふうに…
林田さん。えっ?
そうですね。
そうですね。あ~。
そうですね。
ここから一番近い。
門司が栄えた理由 それは
すぐ近くにあった筑豊炭田。
全国のおよそ半分の石炭を
産出し→
その多くが

門司に運び込まれていました。
実は 明治の中頃まで→
門司は一面 塩田ばかりが広がる場所。
そのため 新しい港を
一からつくる事ができたんです。
門司は 瞬く間に 大量の石炭を
全国そして海外に送り出す→
重要な拠点に発展。
こうして 大手銀行や新聞社商社などが進出する→
大都会になったんです。
(田中)すいません… 門司の話で盛り上がってる途中なんですが→
ちょっとだけ下関のお話させて…。
はい 結構です。 はいはい。
(田中)すごく大きな町だったので。
大きな町だったんですよね。
…という事ですよね。
(田中)そうですね。
こちらを
ご覧頂きたいんですけれども。→
大正14年に発行された
地図になります。
(田中)大正14年には
「下関海峡」から「関門海峡」に→
名前が変わっている
という事ですね。
下関と門司。
2つの大きな町が海峡を挟んで発展した事が→
「関門海峡」という
新しい地名を生んだんですね。
海峡の名前を変えた 2つの町。

互いを行き来するため→
本州と九州をつなぐ
交通網の整備が→
急ピッチで進められました。
ここからはその痕跡を見ていきましょう!
今は こう 残念ながら…
明治24年に開業した 門司港駅。
現在の駅舎は
大正時代のもので→
国の重要文化財に
指定されています。
鹿児島本線の
出発点ともなる駅です。
門司港駅 好きですね。
ないんですか?
(日比野)どうして…?
車止めの こう…→
印があるとこが
好きなんで。
線路が ここで終わってるんだ

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